記事公開日:2018年6月20日
最終更新日:2025年10月31日
「今日お客さん来るから、お茶出しよろしく」。うん、まぁそれはこっちでやるから別にいいんだけどさ。人に出してもらっておいて、後であれこれ文句を言う上司や役員に、何度うんざりさせられたことか数えられないほど。知ったこっちゃねえわ。
今回は会社のお茶出しにおける細かいルールって、尋常じゃないほどくだらなくて時代遅れだよねって話をしたい。効率も公平性も安全性も、今の働き方と合ってない。
なら自分でやれよ…。
お茶出しルールは心底時代遅れ
会社って昔の時代は「お茶を出す=接客の基本」って価値観があったよね。まぁ確かにその通りではあるし、今でもその名残があるのはなんとなくわかる。
だが今は男女関係や働き方がガラッと変化して、とにかく効率を求められることがすごく多いじゃないか。古の慣習を理由に一部の人に任せるのは正直筋が悪いんだよね。
新人だから、女性だから、部署の誰かがやるべきって決めつけるのは全くフェアじゃない。なんで特定の誰かに押し付ける、みたいな風潮になってるんだろう…。

吾輩も会社員だったころ、就職した会社では、必ずこういうお茶出しや配膳を仕事として求められることがあった。一応事務方ではあったので、確かにやっておかしくない立場ではあったんだけど。
でもそれがお客さんのもてなしがメインじゃないし、会議の細かい準備なんか本来の仕事でやってる場合じゃないことが多くてさ。そのうえ後でアレが出来てないこれがダメだって、細かく言われるから鬱陶しかった。
別に上司や役員は、取引先の人に対応するのが優先だから、お茶出し自体はするよ。でもさ、文句を言うくらいなら最初から全部自分でやってくれよっていうのが本音。下っ端に全て任せるのは時代遅れじゃね?
いつまで古いルールを引きずる?
今と昔は違う
別に吾輩は昔の時代背景なんて全く知らないけど、例えば昭和時代はお茶くみのためだけに会社に来る社員、という人がいたらしいね。当時は待ち時間が多く、仕事の密度がそんなに高くなかったとか聞く。
ただ現代は、パソコンとかスマホの普及によってその密度が段違いに濃くなったと。役員はどうか知らないけど、上司やその部下は間違いなく全体的な忙しさは上がったと。

まずは働き方の変化。リモートや時差出勤が増えて、会議の場の人員構成を固定しにくくなった。固定の“お茶係”を期待するのが非現実的になってるのは、なんとなく想像がつく。
次に多様性の観点で考えると、ジェンダー役割の押し付け(=女性社員や、部下の中でも下っ端中の下っ端だけが必ず行う)っていうのは、だいぶ許容されにくくなってるよね。
安全・衛星面だって見逃せない。あのコロナ禍以降、飲み物の共有とか他人の配膳に敏感な人が世の中的にめちゃくちゃ増えたよね。気にする人はとことん気にする事態に。

最後は純粋な効率だ。ぶっちゃけ、本人たちのセルフ方式にしたほうが色々スムーズだし、人員コスト的に効果が良い場面が多いと吾輩はそう感じるかな。
過去の伝統や習慣VS現代の効率&公平性の衝突という図式が起きており、世情的には前者の伝統の方が負け始めてると。会社によって、考え方が硬いままの場合も多いが…。
順番とか種類とか知らねえよ
吾輩、働いていた会社が全体的に古い慣習を大事にする日系企業だったもので、そこかしこに「?」と思うようなルールや暗黙の了解が多かった。最初の職場は本当に新卒だったこともあり、こういうお茶出しの機会が部署全体で仕事としてあること。部署ごとに順番で回ってくると言うことは知っていたが。
実際にやる際には、直属の上司や近くの部署のママさんにやり方を教えてもらいつつ、その通りにやってみたんだよ。ちなみに相手は、全国から集まった役員のおっさんたち。
その人たちはいかにも、昭和時代の生き抜いてきた仕事人という感じで、本当に昔ながらの人々。つまり、何かちょっとでも気に入らないとすぐキレやすいんだよね。

誰から順番に出す、お茶を差し出す方向はその人の右側から、後ろを通るときは静かに、いくら室内に冷房が効いているとはいえ真夏でもスーツを着て対応しろだの…。初めてのことを色々教わり、慣れない手つきでやってはみたけどさ?
それでも後で自社の役員・直属の上司・一緒にお茶出しをした近くの部署のママさんから、めちゃくちゃ色々文句を言われたことははっきり覚えている。
正直思った。「自分の仕事をやる時間を奪っておいて、その言い草はこいつら何様なんだろう…」と。吾輩の仕事は当時経理で、伝票処理や資料作成のほうが大事。その手を止めてまで、こんな知りもしない相手の役員おじさんたちを相手させて、何の意味があるのか本当によくわからんし非効率。どうでもいいわ。
最初だけ出すからさ
転職した次の会社でも、やっぱり事務方に居たため度々お茶出しや配膳の仕事があった。まぁもうそれ自体は別にいいよ。やるよ。そこは構わないよ。てな感じで、正直うんざりという気持ちを抱いたまま顔には笑顔を張りつかせて、とりあえず社内で上司や社長&取引先の人との会議準備を行う。
ただカテキンがダメなのか、自社の社長はお茶じゃなくて冷たい水がマストという個人的は至極どうでもいい条件が追加され、「…」となったな。個人の心情や事情があるならしゃあない部分もわからなくはないが。

こっちではお客さんが来る前に準備をすることが多く、対応予定の上司も直前まで暇そうにしていたことが多くてさ。でも一切手伝わないの。ほぼ吾輩と下位の上司だけにやらせてたな。どうせ手が空いてるなら、頭数が多いほうがさっさと準備も効率よく行えるし、本来の業務にも素早く戻れる。手伝わない理由は多分一種のプライドだと思うんだけど。
マジで見ていて不快だったのは、すごく覚えてるよ。いくら上司とはいえ、普段は効率効率言うくせに過去の慣習に縛られているのかなんなのかよくわからないけど迷惑だった。

しかも食事中にお茶が足らなくなったのか、こっちが忙しく仕事中でも構わず内線で追加のお茶手配を要求してきたり。あなたのせいで吾輩の仕事がその度に止まるんだけど。
予備の分は別フロアで冷やしてあるんだから、もうそれくらい自分で取りにってくれよ…と何度思ったか。最初の準備は仕方ないにしても、上司がお茶を出しちゃいけないなんてルールはねえぞと。
自分でやったほうが早いじゃん
とにかく改めて言いたいのは、効率を求める現代なのにお茶出し一つでそれが台無し。公平性・効率・衛生の観点で、一回この風習を見直すべきだと思う。
別にやったほうが良いならやるけど、その代わりに後で文句を言うなよ。言いたいんだったら、最初から自分でやったほうが満足いくと思うんだが…。そう思うのは吾輩だけか?
お茶出しルールは時代遅れかつ無駄。

今回はここまで。この記事を書いた当時からずっと思っていたけど、会社員じゃなくなった今でも思い出すたびに、なんだかなぁと思わされる出来事の一つ。
あなたのお客さんなら、あなた自身で最初から最後までできれば対応してほしい。人手が足らないなら普通に手伝うけど、あれこれ後で言わないでくれよ。