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じいちゃんが亡くなった。それから数年が経つけど、地震は何もかも持っていくと改めて思う

 

親戚が亡くなる。

誰しもそんな経験、一度くらいはあるだろう。

俺も現時点で過去に3回経験があるよ。

 

近しい人が亡くなるというのは悲しい出来事だが、そこに至るまでの原因も様々。

今回は親戚のじいちゃんが亡くなった話について、思ったことを語っていこうと思う。

立ち直れないくらいショックな出来事があって、そのまま衰弱してしまったんだ。

それまでが健康だったとしても、気持ち一つで人間の状態はこうまで変わるってことを伝えたい。

 

 

慕っていた2人目のじいちゃんが亡くなった

 

※本記事では途中で地震や津波の話が出てきます。

大丈夫な方のみ、このままお進みください。

 

 

小さいころからずっと慕っていた親戚のじいちゃんがいたのよ。

埼玉のじいちゃんと、福島のじいちゃんそれぞれなんだけど俺はその2人が好きだった。

家へお邪魔するたびに、この2人とはよく話したり遊んでもらったりしてたよ。

毎度毎度親戚の家へ行くのに楽しみなことが、大体この2人に会えるからだ。

 

埼玉のじいちゃんは自分が14歳の頃に亡くなった。

確かなんかの病気を患ってたらしいのだが、詳しくは知らない。

その時の葬儀では、どうしても我慢できずにかなりボロボロ泣いた記憶がある。

ただ今回の記事で話したいのはこっちじゃない。

 

福島のじいちゃんのほうなんだけど、あれは俺が高校2年生だったころ。

西暦でいえば2011年だ。

福島で2011年に起きたとんでもない出来事と言えば、誰の記憶にも明らかにあるだろう。

そう、東日本大震災が起きた年だね。

これが起きた年に、福島のじいちゃんが亡くなってしまった。

もちろん悲しい出来事だったけど、今思うとこんなことが分かる。

どれだけ肉体が健康だったとしても、人間は心の持ちよう一つで簡単に弱くなる生き物だってことだ。

立ち直れないくらいショックな出来事がその人を襲うと、それだけで廃人同然の状態になる。

だから人間そのものって本当に弱いんだなぁと思っちゃった。

 

 

気持ち一つで人間の状態は本当に簡単に変わる

 

もちろん俺だって、今まで生きてきてショックだったことの一つや二つくらいあるよ。

思い返せば長い間いじめにあってきたり、思い通りに上手くいかなくてふさぎ込んだり…。

とにかく今に至るまでの過程で、自分に降りかかった災難はとっても厄介だった。

他人から見れば大したことないかもしれないけど、自分にとっては一大事だ。

でもそれの原因って、大半は自分にあるため自業自得な部分も多い。

だからどこかに自分の落ち度を感じると、落ち込んだとしても納得できないわけじゃない。

 

でもさ、時には理不尽な要因で自分に災難が降りかかることだってある。

特に自然によってもたらされる災害については、人間の力でははっきり言ってどうしようもない。

自分が何かしたわけでもないのに、一方的に被害を被るとそりゃあ当然ながら納得はできない。

そしてどうしようもない理不尽さが極まりないので、人によってはかなり大きなショックを受ける可能性も十分。

 

その福島のじいちゃんが亡くなったのは、後で聞いたらそこに原因があった模様。

許容し切れないショックなことが目の前で起きて、そのままどんどん元気がなくなってしまったというワケ。

いわゆる”衰弱死”に該当すると思うが、とてもじゃないけど俺も信じられなかったよ。

病気を患っているわけでもなさそうだったのに、あの地震を境に一変してしまったじいちゃん。

ヒトってこういう原因でも生涯を閉じてしまう。

今まで衰弱死と聞いても、あまりピンときたことが無かったが…。

いくら健康でも、人間の精神状態も健全でないと簡単に壊れてしまうってかなり恐ろしい。

ラガン
…。

 

 

何もかも奪い去った大震災 自然にはどうあがいても勝てない

 

話を東日本大震災が起きたときに戻そう。

2011年3月11日、14:48分ごろに件の震災が発生。

その時俺は、ちょうど部活の真っ最中だったのね。

卓球部に所属していたため、ちょうど相手とラリーの練習をしていたかな。

突然卓球テーブルが揺れてその直後に後者が大きく揺れた。

自分が居た場所は震度5強クラスだったが、こんなの今まで経験したことも無い。

揺れがひとまず収まった後、とりあえず校内にいる生徒は全員グラウンドへ集まった。

 

とにかくこの日はすぐに自宅へ帰るように言われたが、電車が動かなったのですごい大変だった。

何とか無事に帰宅して、家には目立った被害が無くて良かった。

翌日ニュースを見ると、その地震の全貌がだんだんわかってきた。

 

震源は福島県の右側の海域。

その地域周辺は震度6~7がゴロゴロ並んでおり、うちの家族の頭をよぎったことが一つある。

「福島の親戚はみんな大丈夫なのか?」

両親が複数回支援物資を届けていたようで連絡手段はあったみたい。

親戚の家から海が非常に近く、津波で流されてしまっている可能性もあったが…。

幸いなことに親戚の家は1Fの半分が海水に浸かったものの、全員無事だったらしい。

そこでいったん一安心したのね。

 

地震が発生してから2ヶ月くらいが経ち、Omochiも親戚に会うため現地へ向かった。

テレビで中継を見ていて土台しか残っていない住宅街が映っていたが、あっちは本当にそのままだった。

家が無い。

残ってたとしても原型をとどめていない。

全部津波に持っていかれたのだ。

あれだけ家が並んでいた住宅街は、コンクリの土台だけ残して全て露と消えた。

信じられなかったのを今でも覚えている。

 

夜はもっとすさまじい。

街灯も当然つかないので、海に近いところは人気もないし灯りも無い。

一面波の音だけが聞こえる漆黒の闇と化していた。

 

そしてそれからもう少し経った後、悪い知らせが耳に飛んできた。

親戚から伝わってきたのだが

「おじいちゃんが入院することになった」

 

何度も言っているけど、地震が発生する前は普通に元気だったじいちゃん。

その知らせを受けた後、収容されている病院へ見舞に行くと更に驚いた。

じいちゃんの顔から全く生気が感じられず、凄い勢いで痩せこけていた。

一年前はこんな状態でもなく、病気の話も一切聞いたことが無いあのじいちゃんが?

なんでこんな状態になっているの?

俺自身も全然頭の処理が追いつかなかったよ。

 

結局地震発生から半年後、じいちゃんはそのまま病院で亡くなってしまった。

病院で亡くなるパターンは、殆ど大きい病気を患っているモノだと思っていたので…。

当時の俺には亡くなった原因がさっぱりわからなかった。

 

葬儀の時にいろいろじいちゃんの容態について、親戚の人達から話を聞いた。

どうやら原因は地震によって引き起こされた津波にあるらしい。

波に飲み込まれこそしなかったものの、あのすべてを喰らい尽くす水の勢いを間近で見ていたようだ。

家も車も何でもかんでも全て沖に流していく、そんなショッキングな光景を生で見てしまった。

じいちゃんの心にそれは大きく深い傷をつけ、全く立ち直れなくなってしまったらしい。

気持ちが今までにないくらい沈み続けたので、それに比例して肉体もどんどん弱ってしまった。

こういう経緯で亡くなってしまったと聞いたよ。

 

 

自然災害がもたらしたことなので、じいちゃんが何か悪いことをしたわけでもなんでもない。

だけど抗いようのない大自然の力があまりにも強烈すぎて、人の心を完全に破壊しつくしてしまったのだ。

あの津波の光景は俺だってテレビを通してみたことがあるけど、現地で見てしまったら衝撃度合いは段違いだろう。

今じっくり考えてみると、本当に人間は弱い生き物なんだなと実感する。

一人一人の力は弱く、自然の驚異からの実害が無かったとしても間接的にこういうことって起きるんだよ。

すごくやるせない気持ちになった。

 

 

気持ちと肉体は状態が比例する

 

こういう出来事があって、とにかく人間はちっぽけ生き物だと再認識させられた。

どれだけその人が元気だろうと、あくまでも人間の尺度として考えればの話である。

そこに自然の力が介在すると、絶対に人間は勝てるわけではない。

そして想像以上に精神状態と肉体の状態って、表裏一体なんだと感じたよ。

 

もちろん俺だって、いつそうなるかなんて全くわからない。

得てして突然やってくるモノだから、普段から肉体・精神共にまだ健全であることに感謝したい。

 

 

今回はここまで。

ああ、出来ることではないけどまたじいちゃんたちと話がしたい。

俺だってここまで成長したっていうことをすごく伝えたくなった。

 

 

人間は,,,弱い…。