こんにちわ。Omochiだよ。
「友達100人出来るかな?」。有名な子どものための歌だね。この歌をまったく聴いたことが無い人なんてほぼ居ないくらい、保育園や幼稚園ではよく歌われる。実際、Omochiも未就学児だったころに、よくこの歌を友達・先生と一緒に歌った記憶があるよ。その頃からやっぱり友達は多いほうがいいよねと思っております。
ただね、最近こんなことも目にした。「本当に信頼できる友達は極少数居ればいい」という話があったの。なるほど、小さい頃に大人から教わったこととは全く反対のことを言っているのが分かるよね。今回はその少数居ればいいのはホント?ってことについて、どういうことかを考えていこうと思います。学生の頃と(一応)大人になった今じゃ感覚が違うからね。行きましょう。
本当に心を許せる家族以外の存在って、中々見つからないよね。
友達という区分は、多層にわたる
一言に友達といっても、どこまで相手に許せるかでだいぶ意味合いが変わってくる。
顔と名前を知っていて多少でも会話したことがあるなら友達という人も居れば、お互いの秘密を腹を割って話せるレベルになったら友達という人までかなり様々でしょう。
そしてその友達は、昨今においていればいるほどその人はすごい人なんだという風潮が結構強い。
もちろん友達が多いってことは、その人に対する魅力が周りの人から見てたくさんあるってことの証明だから素直にすごいのは確かだ。
しかし、それは同時にうわべだけの人間関係を作る原因ともなりうるときがある。
そこにふと本人が気づいてしまったときに、かなり悲しい気持ちになることは間違いないよな?
そうならないために、本当に信頼できる友達って欲しくなるのと思うんだけど極少数でいいって言うのは考えてみれば正しいことなんだよね。
あなたの時間は有限なんだよ、相手全員に等しく使えるものじゃない
友達といろんなことをして一緒に過ごすのは、基本的に楽しいことばかりだよね。
あの人とはこういう所に行って、このひととはこんな遊び方をして…と考え実行に移すときはなんともいえない至福の時間であるでしょう。
だがな、それを何十人・何百人と同じような付き合い方って出来ないでしょ?
それはその分だけ、自分のために使う時間を削っているのと同じことなんだよ。
学生の頃だって、時間がある人ない人の差は結構激しい。
その時間がある人だって、24時間・一週間丸々誰かと常に居るなんて事は無い。
ましてや社会人になると、仕事とかいう生きるためには仕方の無いくそどうでもいいことに身を落とさなければならなくなるので時間が無い人のほうが圧倒的に多くなる。
だから一人で行動する時間ってのが、必然的に増えるんだよね。
社会人になると、友達が減ったって言うのはこう言う理由が元で起きる現象なんだよ。
それ自体は誰にでも起こる自然な現象だから、あまり大きく気にする必要は無い。
その中から、密な関係を築いてどんなことでも相談し合える仲間って必然的に少数になるのは当たり前ですよ。
学生時代みたいに、あれこれ人を探している時間すらない人が多いんだからね。
そこに時間をかけるなら、もっと他にやるべき事があるでしょう。
仕事でもいいいし、趣味を突き詰めるでもいいし、新しいことにチャレンジするでもいい。
特にこの初めの部分に、顔見知り程度の友達って力になれないことが多いよ。
うすい関係で居た相手には、自分にとって大事な場面では協力を得られない可能性が高いので結局最初は一人であれこれ悩むことになるんだよね。
ただ、そういうときに既に密な関係を持っている友達が居るとそれは心強い。
そういう人って、自分の周りを見渡してみると本当に少ないでしょ?
それで全然いいんだよ。
でもそんな人が居ないから、自分で探したいんだけど?
言うても、Omochiも友達が多いわけではない。
その母数が少ないところから、信頼できる友達まで関係を昇華させるのは中々難しいところ。
そこで目にした方法があったので、現在Omochiも実践中でございます。
まずは顔見知り程度でいいから関係を作る
始めにやるのは、友達になるであろう人間の母数を増やすことだ。
最初から密な関係になるのは無理なので、薄い関係から始まる事になる。
そのために、色んな人に話しかけて関係を作り始めよう。
え?、リアルの人間に急に話しかけるのはどうしても臆する?
その気持ち、死ぬほどよくわかります!
そういう人は、ぜひともSNSのようなコミュニケーションツールを使ってみるといいよ。
Omochiで言えば、Twitterですな。
ネットの世界には、リアルの人間には気軽に話せないような心の壁が存在しにくい。
よって、ネットの中で言葉で話しかける分には抵抗が少ないでしょう?
まずはそこから始めてみてはいかがだろうか?
Omochiも実際に使って、それが出来るかどうか検証中でございますよ。
無理に友達を作ろうとしない
思い返して欲しいんだけど、小学生の頃って友達になるためになんか意識したことってあった?
あの時って、深く考えすぎないからこそ誰とでもとりあえず会話が出来る感じがあったよね。
意識して友達を作ろうと思って無くても、とりあえず顔見知りになるくらいだったら大人になった今より断然イージーモードだったよ。
そして自然と、気の合う仲間とつるみ始めるまでがテンプレね。
つーことは、鼻息荒くして「友達を作らなきゃ!」みたいに考えているときこそ色々深く考えすぎてだめになるもんだよね。
大人が最たる例ですわ。
相手のことを色々配慮しようと思いすぎるあまり、全く踏み出せなくなったアレ。
(これ職場の自分やないか…。友達とはまたちょっと違うけど)
求めすぎると、かえって相手が逃げていくんだよね。
恋愛ごとと全く同じじゃないっすか!
繰り返すと、段々自分にとっての友達が厳選される
上に上げた①と②を繰り返すと段々相手がどんな人か、気が合う人なのか信頼できるのかが分かってくる。
自分の意見を言って、真っ向から反論されようが逆に理解されようが信頼できるレベルまで来たら十分納得できるでしょ?
どっちにしろ、気の合う人なんか自分の友達を見渡してもよく考えると本当に少ないよね。
逆にそこまで持っていけたら、お互いよい相棒としていい関係を築けている証拠だ。
そういう人たちと一緒に過ごす時間と、自分だけの時間を上手に確保出来ればもう完全に勝ち確ですわ!
信頼できる仲間はやはり少数で落ち着く
こんな感じで信頼できる友達のあり方を考えてみると、こうイメージ的にピラミッド構造になるのよ。
一番下の底面は、大多数の顔見知り。
頂点に近づけば近づくほど、自分にとっては厳選された仲間だと。
そう思うと、信頼できる友達は本当に少なくなるってイメージが着く。
だから最初に言われたことは、正しいのではないかと思ったんだよね。
いずれにせよ、歳をとればとるほど”友達”と呼べる存在は少なくなっていく。
ならば、その少ない中にも本当に信頼できる人を見つけ出せたらとても幸せだと思いませんか?
今回はここまで。
学生の頃は、意地でも友達と一緒に居ないとだめだった自分が何時しかそこまで多くなくてもいいと心変わりをしたのは必然なのかたまたまなのか…。
そして他の皆さんにも、同じような心境の変化って起きているものなのか気になってしまった。
なんでも多けりゃいいってわけじゃないよね!
人生を潤す相棒や伴侶は、信頼できる人じゃないとなぁ!