人間は、一人で生きていけない。
生まれたての赤ちゃんの頃から、亡くなる間際まで完全に天涯孤独なんてほぼ無い。
人生の中で、一時的に完全に一人はもしかしたらあるかもしれないが。
そんなわけで、他人からの協力は嫌だろうがなんだろうが必要になることが多い。
しかしそこで、下手すると相手の協力が得られない可能性や自分のためにならないかもしれない。
間違えやすい「頼りにすること・アテにすることの違い」をしっかり押さえて、悪い影響を及ぼさないようにしよう。
うん?、なんかいいように使われている?
生きるために”頼る”ことは不可欠だ
人間は、集団で生活する生き物。
他の動物と違って、知能がずば抜けている代わりに恵まれた体格を持っていない。
苛酷な環境に身をおけば、あっという間に生命の危機に瀕するほど個は弱い。
だからそれを補うために、言葉や道具を駆使して繁栄してきたんだけど。
そんなわけで集団で生きるためには、どうしても個々人ごとの協力が必要。
1だったものが、10集まることによってその集団の強さは跳ね上がっていくからね。
そこまでといかなくても、1より2のほうが、断然強い。
よって、家庭だろうが学校だろうが会社だろうが、どこでも他人と関わっていかないと厳しい世の中。
お互いの関係は、今後生きていくうえでとても重要なものになる。
そこで自分が他人へor他人が自分へ、協力を求めるときを考えて欲しい。
「頼ること・当てにすること」の違いを。
これ、何も考えていないと間違いなく後者になることが多い。
そうならないように、今一度振り返ってみたいと思うよ。
マジで履き違えないように、注意していこう。
やっている行動は似ていても、中身が180°違う!
この”頼る”と”当てにする”は、表面上の行為としては殆ど同じ。
確かに「相手へお願い事をしている」事実においては、変わりが無いよね。
しかし、頼み込む側の思惑としては全然意味合いが変わってくる。
自分が何かに直面したときに、相手からのヒントを手に入れながらも自分で解決に導く。
それか単に目の前の事実から面倒なので、相手を利用して逃避したいだけなのか。
お願いする相手に対して、この2つのうちどっちを重点において頼み込むかによって変わる。
なにか手助けをしてほしいときに、相手にお願いすることはままある。
もちろん自分だって、今までに数え切れないくらい人は頼ってきたよ。
今だって、頻度は少なくしようと努力しているもののやはり頼らないと困る場面だっていくらでもある。
しかしやはりというか18歳くらいになるまでは、明らかに”他人を当てにすることが多く甘えていた。”
明らかに自分でもできることなのに、他人を当てにして面倒なことを進めようとしてきた節がある。
今でも100%そうならなくなったわけではないが、だいぶ軽減されてきたよ。
ちゃんと自分でやるべきことは、やろうと日頃から心がけているからね。
意外と当たり前のことが出来てないのって、思い返すと結構あるんだよな…。
当てにしてばっかりだと、何の成長にも繋がらん
残念なことに、他人に助けを求めるタイプはさっき言ったみたいに何を考えているかによって、その人の人間性が分かる。
あくまでも相手を頼りにする人ならば、最終的に自分で解決する力は持っているのだが…。
問題なのは、”全てを当てにして、他人を利用する”人なんだよね。
例えば”ドラえもん”のワンシーンを思い浮かべて欲しい。
頭の出来が悪いのびたは、いつも学校で出される宿題に困っているよね。
そのときに、他人を頼ろうとする彼or他人を当てにする彼だった場合を考えてみる。
教えを請う相手を頼ろうとしている人の中身
まず、教えてもらう際に頼りにしようとしている人が考えることから。
宿題が出た
↓
面倒だけどやらなければならない
↓
分からないところだらけだから、一人じゃ進まない
↓
誰かに教えてもらうときに、出来るだけヒントのみでやろう
↓
途中までの道筋を教えてもらって、後は自分で答えを出す!
こんな感じで、あくまでも人を頼るならば1から10までやってもらう必要はどこにも無い。
結局のところ、最終的に自分で解決に導くプロセスを体験してこそ次はどうするかに活きて来るんだよね。
ここに人としての成長が実感できる。
苦難は必ず付きまとうけど、そこを乗り越えられる人間こそ強いんだよ!
教えを請う相手を利用し、当てにしようとする人の中身
今度は逆に、お互いにとってもっともよろしくないパターン。
特に自分にとっては、積み重なるとかなりマイナスになるよ。
途中(分からないところだらけだから、一人では進まない)までは、はさっきと同じ。
↓
ぶっちゃけ考えるのめんどいし、答えを教えてもらって提出すればええやん?
↓
丸ごと答えを教えてもらうので、自分で考えることはしない
とまぁこんな具合になるね。
こっちのほうが、いつもののびたか。
確かに他人を当てにして(利用して)答えを手に入れるだけなら、特段難しい話ではない。
おまけに、手に入れてしまえば後は書き写すだけで何の苦労もせずに終わる。
事実を消化する効率だけで言えば、段違いに良い。
しかし、コレをやってしまうと自分にとって何のためにもならない。
物事を終わらせる過程に、自分が思考する余地が全く無いため。
そこにあるのは、単に”宿題を終わらせた”と言うだけの事実しか残らない。
せっかく考える脳を持っているのに、使っていないに等しい状態になる。
だからアニメ中ののびたは、延々と0点を取り続けるのだろう。
もちろんこの現象は、二次元の世界に限らずリアルの世界でも起きる。
過去の自分も、そういうときがあって思い返すと何も成長していなかった。
面倒ごとを回避するのに全力を出して、目の前の事に向き合わなかった結果に、浪人をしたという経験がそれを物語る。
勉強も入学したい大学の情報集めもまともにやらずに、周りを当てにしまくった結果起きてしまった黒歴史と言えよう。
幸いそのときの経験が、自分への戒めとなった?のか、多少はいろんなことを軌道修正できた実感はあるが…。
他人を頼るなら、自分に足りないものを補うイメージで!
人間と言うのは、無意識のうちに楽なほうへ流されていく。
もちろんそれは、場所を選ばずにたくさんの人の頭に植え付けられていることなので…。
何も考えていないと、他人に助けを求めるときもいつの間にか”当てにする”状態になりやすい。
その先に待ち構えているのは、上述したとおりの成長の無さだ。
そうならないためにも、「他人を頼るor当てにする」ことの違いを改めて知っておこう!
そうしないと、いつまでたっても何事も自分の糧にならないし、当てにされ続けた相手はいい気がしないからね!
家族の中ならいざ知れず、友達間や職場の人の間でやるなど言語道断なのでマジで気をつけるように!
今回はここまで。
「私は頼られるのは好きだが、当てにされるのは嫌いなんだ」
某漫画の小学5年生が発した、偉大なる名言である…。
出来るだけ自分の力で、物事を進めましょう!