社会人になるって、人生の中では大きな変わり目だよね。
教わるのが主体な学生の身から、働いて稼ぐという身に早変わり。
今までの感覚から一気にかけ離れて、色んな事があなたを待っている。
ただ現在のところ、まだまだどこかの企業に雇われて働く人が圧倒的に多い。
まだ働いたことのない学生は特にこう疑問に思うだろう。
「社会人って一気に不自由になるんでしょ? そんなの嫌なんだけど!」
Omochiも働く前はそんな風に思ってて、実際に当たっている部分は多々ある。
しかし決して何でもかんでも不自由ではないと感じるところもあるから、全てが悪いとは限らないのだ。
そんなことを少しでも知ってもらえれば、待っているのが100%絶望というわけではないのが分かるはず。
社会人は不自由だと思われやすい
社会人になるととにかく不自由な感触に襲われることが多い。
活きていくためにはお金を稼がないといけない。
そのための行動を起こすのだが、これがなかなか大変なことが多いよな。
活きるためのお金を得るというのは、相応の働きを相手に提供しないといけない。
アルバイトも同じではあるが、そこには責任の程度が大きく違うとされる差が大きい。
個人で働く人も増えてきたけど、まだまだ世の中の主流は会社に入って働くパターンだ。
御多分に漏れず、Omochi自身も企業に所属して働いている。
そこで働くということは、定められた時間自分の肉体を労働に供していく。
対価として給料という形で、自分たちの元へお金が入ってくる仕組みだ。
不自由だと思われるところは、この定められた時間を提供するというところがとても大きいよね、
どれだけ忙しかろうが、あるいは暇であろうが決められた時間は自分の意思無く労働しなければならない。
そうしないと対価であるお金は、当然きっちりもらえないし貰う権利も無い。
あたり前だね。
確かに決められた時間はとにかくそこで働かないといけないと考えると、不自由に見えて当然だ。
実際その時間は好き勝手その場所を離れるわけにもいかず、ふらふら出歩くことは許されない。
そこだけ目を向けると不自由と感じてもしょうがないが、ちょっと待ってほしい。
何も社会人の生活は、それに限らずプライベートの時間だってあるわけだ。
不自由に見える中でも、ちゃんと自由な部分があるのに目を向けてみてほしいのよ。
そうすると、ある意味学生よりもやりたい放題やっている現実に気づくのが分かってきたぞ。
一体どこが自由なの? どうして自由だと感じるの?
確かにどうしても企業で働く以上、平日の活動時間の大半は確かに気ままに動くことは出来ない。
それこそ休みを取らない限り、定められたルールなのでこればかりはしょうがないんだよね。
でもいざ仕事が終わった後、あるいは休日はどうだろう?
別にその時間は働くわけでもなんでもないから、自由に行動して何ら問題はない。
いたって普通の事実なんだけど、改めて考えてみるとこの時点でまず社会人=100%不自由ではないよね。
そしてその仕事以外の時間は、社会人にとって貴重なプライベートな時間だ。
特に文系大学生のように、湯水のごとく暇な時間が多いわけでもなく結構短い。
ただその短い時間の中で、以下にどう過ごすかを念頭に置くようになりぼけっとする時間が減ったよ。
やりたいことをやっているけど、ひたすら寝るとかそういうことはしなくなったというだけ。
俺の場合体力があればスポーツジムに通うし、このブログを執筆する気概もある。
もちろんどうしても昼寝をするときも無くはないけど、起きている間は何かしらの活動にきっちり打ち込む。
その活動も、自分がやりたい・やらないといけないと感じていることを自由にやっているので有意義だよ。
軽くまとめると、確かに社会人は労働をしなければならない関係上自由な時間は減る。
大幅に不自由な時間が増えるのはしょうがない。
しかし限られた自由な時間は、その人が濃密な活動に打ち込める時間にも変わるわけで…。
単純な時間の長さだけでは計り知れない、有意義に感じる時間が大きく変わってくるのだ。
俺はこの有意義な時間=まさに自分が自由に活動している時間だと感じるよ。
短いプライベートタイムの中、どこまで自分が濃密に活動できるかを考えるのが中々楽しくもあるぞ!
やっぱり時間の受け止め方は大きく変わってくるね
Omochiは一年間浪人して、何とか世間一般でいう中堅ランクくらいの私立文系大学に入学した。
その時点で大きく何かをやりたいわけでもなく、やはり大きく無駄な時間は沢山あったと思う。
ある程度バイトに費やしたり、勉強もあまりにも手を抜きすぎない程度にやったりはしてたよ。
特にゼミに関しては、やはり普通の授業と違って能動的に動くことが多くてちゃんとやってた感はある。
ただ今思い出すと、なるべく無駄を省いて行動してたのはその時くらいだろうか…。
残念なことに大半の余りある時間は、あんまり濃密に活動で来ているとは言えなかった。
単純に自由な時間は多かったけど、きちんと自由を謳歌しているかと言われると微妙だ…。
一方社会人になったらどうだ?
さっきも散々言ったけど、平日は朝から夜までお仕事の時間。
故にその時間は不自由だ。
しかし終わった後は、当然短いながらも自由な時間は生まれる。
ましてや俺は今でも実家暮らしで甘ったれなので、無理やりにでも多少は捻出が可能。
その時間を使えば、ゲームなりブログの執筆なりは十分にできる。
大学生時代のように、帰ってきた後ずっと動画サイトをだらだら見てるなんてことはしなくなった。
もちろんさらに時間のある休日は、やりたいことに費やせる時間は増える。
特に自分の場合は、ブログがいつも気がかりなので使える時間が確保しやすいのは大きい。
しかしあくまでも、ブログ一つにとってもやっていいことでありやらなくてもいいことである。
自分がその日何をやるかは完全に自由だし、そこは自分の意思にゆだねられる。
ちゃんとどう使っていいか選べる時間は社会人だってきっちりあるので、完全に不自由ではないよな?
なんとなくイメージはついたかしら…。
社会人=すべてが不自由ではないよね!?
とまぁあれこれ言ってきたけど、確かに社会人は自由に使える時間は減る。
それは覆しようのない事実だけど、それ以外の時間はやりたいことが出来るのも確か。
よって社会人=100%不自由ではないのが分かる。
個人的な意見だけどむしろある程度縛りがあるほうが、人間って自由を感じやすいと思う。
逆に何をやってもいいとされると、却って放り出された感が強くなりすぎて分かんなくなるよね。
ただ雇われていると、その縛りがある程度レベルじゃないから不自由がより厳しく感じるともいえるが。
だから最終的にバランスが取れるのは、やっぱりフリーランスなのかな?
どちらも経験してみないと、真の自由というのは自分の中で比較できないから難しい。
今回はここまで。
自由と不自由の丁度いいバランスって、見つけたいけど中々探し辛いよね。
最終的に色んな状態を経験してこそ、自分にあった割合が見つかると嬉しいよな!
俺も自由、あなたも自由。