こんにちわ。Omochiだよ。(@おもち@抱き枕とフィギュア欲しい)
死という出来事は、紆余曲折あれど生命が必ず迎える最後のシーン。この事実の前においては、中々に平等性があることだと思いますよ。そう、最終的に人は死ぬのです…。それはコレを見ている人も、書いているOmochi自身も避けられぬこと。
そんな中、最近「看取られずに亡くなる人が増えている」との話を聞いた。間際に一人で亡くなる人が増えているって事らしい。今回はそこから、将来的に看取る側がいいのか、看取られる側がいいのかをちょっと考えてみようと思います。行きましょう。
人の最期は、見ていて悲しくなるよね…。
Omochiは甘えたいタイプなのでね!
人生の最期というのは、当事者が今にも天国へ旅立ちそうな状態である。
そこにはその人が歩んできた人生の軌跡を思い起こすたびに、思うことがたくさんある。
「本当はあの時コレをやっておけばよかった」
「あの時、アレをやっておいてよかった」
「この人と出会えなかったら、自分の人生はどうなっていただろう」
とかね。
後悔や、安堵することがいっぱいあればあるほどその人の人生は充実していたと思う。
Omochiも死ぬ間際になったら(まだ考えるのは早いけど)、ぜひともそう思える人生にしていきたいとがんばりますよ。
さて、そこで家族でも結婚相手でも誰でもいいけどさ。
人間の最期を看取るか看取られるかって、あるでしょ?
要は先に死ぬか、後に死ぬかの違いなんだけど。
これって、どっちがお勧めとかそういうことじゃないんだけど…。
あなたの本望としてはどっちがいいって事を聞いてみたくてね。
Omochiの場合だと、ある程度の年齢まで(75くらいを目標としている)生きたら先に看取られたいなぁ。
もちろん理由はあるんだけど、恐らくこっちに当てはまる人って人に甘えたいタイプの人が多いんじゃないかな。
だって身近な人が亡くなるって、当然だけど悲しいぜ?
もうコレに尽きる。
身近で仲のいい人が亡くなるって、悲しみで真っ黒に塗りつぶされる感覚に襲われるんだもん。
あれから来る悲しみの波って、想像以上にきつい。
しばらくぽっかりと体に穴が開いたって言う感覚があるって聞くけど、その感覚がどういうことか確かによくわかる。
あの喪失感って言うのかな…。
大切なものでも人間でも、突然自分の目の前から居なくなる瞬間を想像してみてほしい。
あなたはそれに、耐えられる自信はあるかな?
Omochiは、自信があるにせよないにせよまだ年齢的には居なくなられる瞬間のほうが多いから耐えるしかないんだけど…。
かな~りきっつい。
自分だけじゃないけど、ほら人生って上手くいかないことのほうが多いでしょ。
そこから生み出される感情は、悲しいとか悔しいとか怒りとかマイナスの感情がよく湧き出てくる。
乗り越えられるだけの悟りの境地を、既に開けているほど人生経験を積んでいるならいいかもしれない。
でも、まだOmochiにはその悟りは手に入っていないし耐えたくない悲しみだ。
じいちゃんが亡くなって、しばらく何もする気が起きなかった
Omochiは小さい頃から、親戚のおじいちゃんと仲がよかった。
よく、関東と東北のほうに一箇所ずつ親戚の家があって毎年時期を変えてお邪魔していた。
そこに住んでいるおじいちゃんと、よく遊んでもらったりしてたなぁ…。
なつかしい。
残念ながら現在は、2人とも亡くなっている。
関東のおじいちゃんのほうは、確かOmochiが中学生のときに亡くなった。
亡くなった原因はよく覚えていないんだけど、中学の制服を着たまま葬式に出たときに初めて人が亡くなったのを間近で認識したの。
(もっと前にお婆ちゃんが亡くなってたんだけど、当時Omochiは5歳くらいだったからよくわかんなかったし…)
あの時、棺に納められたおじいちゃんを見て無意識のうちに涙が出てきた。
ここで人が亡くなるって、こんだけ悲しいことなのかと初めて知ったんだよね。
しばらく涙が全然止まらなくて、自分がおかしくなったのか錯覚したほど。
それほどまでに、悲しい衝撃だった。
もともと、おじいちゃんに甘えていたからこう言うときのショックはより大きかったんだろうなぁ…。
東北に住んでいたおじいちゃんは、こっちの震災のときの記事でもちょっと語った。
東日本大震災が本人にとってよっぽど、衝撃が強すぎる出来事だったのか起きる前と起きた後で人が変わってしまったかのように衰弱してしまったの。
もちろん、最期のシーンには一緒に病院に居たのだが…。
多少は耐性が付いたのか、大泣きするようなことにはならなかった。
でもやはり大きな悲しみは襲ってきて、しばらく何も考える気が起きなかった。
やはりこっちのおじいちゃんにも会うたびに甘えていたから、こういう反動が大きかったと思う。
甘えたいタイプだからこそ、先に逝かれる悲しみは味わいたくない
とにかく、昔から今に至ってOmochiは頼るよりも人に甘えたい願望を持っているナヨナヨした男の子なんです。
こういう身近な人が亡くなるシーンは、極力見たくない。
だから、Omochiはその悲しみを味わうくらいなら先に自分が死んで看取られたいと思うわけ。
正直、後に残された人にその悲しみを押し付ける可能性は否定できない。
これだけ書くと身勝手なことに思えるかもしれないが、これも一つの意見だと思って受け止めてくれると嬉しいでござる…。
逆に自分の芯がしっかりしている人は、その悲しみをきっちり受け止められる素晴らしい心の度量を持っている。
むしろそういう人は、最期まで看取られる側の人間が安心できる大変貴重な人だと思う。
やはり死ぬ側は最終的に安心できる人間に囲まれて、天国に誰だって旅立ちたいでしょ?
ぜひ最期まで、全力をもってお世話をしてあげてください。
もちろん、Omochiだってせめて両親の最期だけはきちんと看取ってあげるべきだと感じている。
何時までもその悲しみから逃げるだけでは、乗り越えられない壁があるからがんばります。
今回はここまで。
人の最期は儚いもの。
誰かが悲しみを受け止めなければならないなら、本音は受け止めたくないけどOmochiもやるしかないのだ…。
人の死はいずれ避けられぬもの。
ならば、最期の手向けを仰せ仕る…。