日本人はよく、助け合いが素晴らしい国だと聞くことがある。
実際そんなシーンは、日常でちょくちょく目にするシーンはあるよね。
世の中の真偽はさておきな…。
前回は日本において、どっちかというとマイナーな風潮である個人行動について語ってみた。
今回は逆に、集団で固まると人間はどれだけ強くなるのかを考えてみようと思うよ。
やっぱり人と関わって生きていく以上、ここは無視できないからね!
塊魂とはまさにこのこと…。
やはり日本は、集団主義が非常に強いという見解
この国においては、昔から集団生活の色がかなり強いよね。
生まれて間もなく幼稚園や保育園に入り、同年代の子たちと先生に支えられながら集団で生活を始める。
小学校に上がると接する人数はめちゃくちゃ増えるが、クラス単位によって集団生活を行うよね。
中学、高校も似たようになり大学生になると一時的にそれが薄まる。
大学生の場合は、自由度が一気に増えるのでそれぞれがやりたいことをやるために行動するのが多くなるよ。
ある人は更に好きな仲間同士で、集団生活の色を強くすれば別の人は、一人旅に代表されるように気ままに行動することを好むようになる。
恐らく、ここでその人が一人がいいのか複数人がいいのかで大きく分かれると思う。
そんな時期が終わり、大体の人が経験するであろう就職時は一気に集団生活へ戻る。
部署内で日ごろの目標に向かって、あれこれと仲間同士で模索していくことが多い。
(まぁ俺の場合は、正直それが苦手と言えば苦手なんだけど…)
確かに集団行動って、苦手な人にとってはかなりしんどいものであるのは分かる。
もちろん無理に好きにならなくてもいいけど、集団行動をすることによって得られることも確かにあるんだよね。
それを知っておいても、決して損はしないよ。
やはり複数人でいる安心感は強い
複数人でいることの強みって、相手を見て自分が学べることにあるんだよね。
一人でやっていることでも、他人がそれを見ていると気が付くことってあるでしょ。
または一人で失敗の原因を探っても、どうしても主観視点になりがちで中々わからない。
そういう時に強いのが、他人が見る客観的な視点なんだよね。
それに人間が考えることって、十人十色なわけじゃない。
全員が全員、全く同じことを考えてたり思いついたりなんか絶対にあるわけがない。
(あったとしたら、軽いホラーだよ…)
とすると、それぞれ重きを置く視点も違うので、全員思いつくことがちょっとずつ違う。
それを討論しあって、相手に気づきを与えられることによって醸成されていくものなんだよね。
練りに練った話から、未知なる素晴らしいアイディアが思いつく可能性は十分に考えられる。
実際に自分の今の仕事は、他人の視点が欲しい時がある
Omochiはね、現在経理のお仕事をしている。
やったことある人はなんとなくわかると思うんだけど、かなり数字とにらめっこするんだよね。
あまり細かいことは、ここでは書かないけどとにかく数字が合わないっていうのが一番厄介。
原因を探っていくんだけど、自分じゃ気づかないうちに数字の計算間違いとかしていることがあるんだよね…。
足し引きが長ければ長いほど、こういうミスを連発しやすく余計に自分が間違っていることに気づきにくい。
そんなときに頼りになるのが、他人にも計算をしてみると言う手。
他の人の目が入ると、案外簡単にどこがおかしいのかすぐにわかることが多い。
こんな時に、他者の目線ってかなり心強いんだよね~。
もちろんこれは逆のパターンだって、いくらでも想定できる。
Omochiが他の人から回ってきたものを、自分の目視で確認すると時たま間違っているのを発見することがある。
その人だけであれこれ考えるより、ある程度考えて行き詰ったら他人に相談することによって、前に進むことはいくらでもある。
一人しかいないときには、絶対にできない芸当だから非常につよいよな!
もっと日常的に考えられるメリットはあるかな?
そうでなくても、他人と一緒に居ることによって得られるメリットも決して少なくない。
場合によっては、一人のときよりも現状を打破できる大きな武器になることもしばしばあるよね。
複数人でいられる安心感
やっぱり人間って、一人でいると孤独に苛まれたり不安に陥りやすくなる。
そんな状態のときに、誰も寄ってきてくれないとその不安はさらに増大する負のサイクルに陥りがち。
そんなときに頼りになるのは、やはり気心の知れた友達とかだよね。
気分が晴れなくても、他人が多少強引にでも無理やり引っ張ってくれるといい方向に進み始められることもある。
そうすれば、良くない現状を打破できる可能性は大いに高まるよな!
他人とおしゃべりできる楽しさは強いよ
人間は感情を持ち、言葉を使える生き物。
せっかく人間に生まれたならば、使わないともったいないしその機能がどんどん衰えてしまう。
仲のいい友達と、気ままに会話できる楽しさは一人では絶対に味わえないよ。
一人でしゃべってばかりだと、なんか精神に異常をきたしている人みたいに見えるかもしれない。
けど誰かと楽しくおしゃべりできるなら、とっても健全に見えること間違いない。
それにさっき述べた、他人の話からでも何らかの気づきを自分が得られるかもしれないので一石二鳥と言えよう。
まぁインターネット上でも、文字を介してになるけど疑似的にできなくはない。
これはこれでアリだと思うけど、傾倒しすぎるのは良くないからバランスよくな!
やる気が無くても、お互いの刺激になる
どうも勉強など、個人作業だけどやる気が出ないときってあるじゃない。
もしくは一人でやっていると、中々続きにくいことでも構わない。
そんなときに他人が居ると、相手の意思に引っ張られて意外と自分も力を発揮できるなーんてこともある。
これを一番体感したのは、Omochiの場合だとスポーツジムだろうか。
一人で続けられなくても、誰かと一緒にやることによって続ける気持ちが保てるってのは強い。
ほら、一人じゃなくて誰かと頑張るとその気力が振り絞りやすくなるっていう、そんな経験の一つや二つくらいあなたにもあるでしょ?
切磋琢磨とは、上手く言ったものだとしみじみ感じるよ…。
集団行動も、ちゃんとメリットはあるだろ?
とまぁ、普段自分が苦手としているモノでもじっくり考えてみると、決して悪いことばかりでない。
むしろ感じやすいであろうメリットに目を向けてみると、これはこれで確かにありなんじゃないかとも思ってしまうほど。
最終的には、いくら一人でいてもやっぱり集団で生活する側面の多い人間社会。
個々の力は弱いので、上手く人付き合いして集団生活で得られる学びをたっぷり頂いておくとしようか!
今回はここまで。
古来より、人間は身と知恵を寄せ合ってここまで大きくなった存在だからね。
どうしても集団は、強くなりやすいものなんだよ。
ある意味それを打ち負かせる一人が居れば、もはや世紀末レベルであるけど…。
どうなんだろうか?
足し算じゃなく、掛け算で人間は強くなっていくもの。