主に学校で行われる”いじめ”という行為。
誰が加害者になって、誰が被害者になっても全くおかしくない出来事。
誰の身近にもあって、何時おきるかわからない恐ろしいものだ。
一人の人間に対して、概ね複数人でよってたかる卑劣な行為。
しかし残念ながら、いじめそのものが無くなることはない。
受けたことがあるからこそ、余計そう思うな…。
ここではその理由をじっくり考えてみる。
いじめはどう頑張っても無くすことは不可能
人をいじめるというのは、主に閉ざされた空間内で発生するもの。
多くのケースは学校で子供同士が多いが、大人だって職場で発生する可能性はある。
今回は学校で起こった場合を前提に話していくね。
別の記事でも書いたけど、俺は高校を卒業するまでに3回くらいいじめを受けたことがあるよ。
そのうちの小学生時代と中学生時代は、かなりしんどくて自分も周りも荒れていた。
親や先生を巻き込んで、学年の問題になったこともある。
今では一つの黒い思い出程度にとどまっているが、当時はそんな余裕が全く無かったぞ。
思い返しても、本当にろくでもない時だったことしか覚えてない。
ただある程度歳をとって、あれこれ考えるようになってからこの問題についてはこう感じる。
人間が人間をいじめる構図はまず無くならない。
減らすことは出来ても、完全に0にするのは無理があると感じる。
いじめというのは無意識に快楽を感じる行為
そもそもなんで人間って、いじめという行為をするんだろうね?
Omochiが思うに、いじめる側にはその行動を行うことによって快楽を感じるからなんだ。
異物を見たときに、邪魔なものを排除するという行為は自然なこと。
体の免疫機能がまさにそれで、人間本体に当てはめるとそこに”楽しさ”が加わる。
誰でも辛い・苦しいことより楽しいことのほうがやっぱりいいよね。
わざわざしんどい思いをするより、心地いいほうに流されたほうが楽だし…。
あなたも日常生活のいたるところで、そういう経験はいっぱいあるはず。
勉強然り、運動然り本当に何でもそう。
元々人間自体が楽な方に流されていく性質を持っているから、コレに抗うのが難しいんだよね。
じゃあそれをいじめに置き換えてみるとどうなる?
いじめっこたちの気持ちを聞いたことがある。
やっぱり大体が気に食わない・貶めるのが楽しい・ストレス解消と言った具合だろう。
特に赤字のところは、まさしく楽しいほうに気持ちが流されているのを表している。
楽しい=快楽に浸かっている状態だね。
これでいくと、彼らはいじめという行為を通して快楽を得ている事になる。
ましてや子どもなので、まだまだ本能で動く部分が多い。
この辺を組み合わせると、いじめをすることにより無意識に快楽を手に入れているので止めようとしないわけだ。
しかも人間一人ひとりに、楽しいと感じることから快楽に生まれ変わるため消えてなくならないんだよね。
それが相手への狂気と形を変えて、いじめが発生するメカニズムということよ。
必ず人間一人に存在するものだから、どうがんばっても根底から消せないんだよね。
楽しいという感情が無くなったら、それはそれで人間ではもはや無いのだが…。
子どもは時として大人以上に邪悪になり歯止めが効きにくいので、厄介な形に変化する恐れがある。
程度にもよるが、人間にはどうしても悪意を持つ心もあるから書け合わさるととんでもないことに…。
対策をしても0どころか増えていく始末
ネット社会がどんどん発達して、いじめの件についても世の明るみに出ることが多くなったよね。
テレビのニュースももちろんだけど、Yahooニュース等でもまずまずの頻度で見かける話だ。
どこどこでどんないじめがあって、教育委員会の対応が云々~…みたいなね。
そしてそれに対してどう策を練るのか、いたるところで議論されている。
もちろん動くこと自体は大事だし、苦しむ子が一人でも減れば幸いだ。
しかし現実は中々非常だ。
文部科学省が平成29年度のいじめについて、調査した結果が公表されている。
分かりやすいグラフの部分だけ見ても、昔から最近に近づくにつれてガンガン件数が上がる。
一番古い昭和60年度と、最新の平成29年度の発生件数の合計を比べてみると…。
実に約2.67倍もの差が表れており、なんだかとんでもないように見えるよね。
現代はとにかく情報の伝わる速度がとても速く、悪い話は簡単にネットを使って拡散される。
Twitter等を眺めていても、ちょろちょろいじめに関するものが投稿されているのを見かけないか?
面白半分で投稿しているけど、とんでもないしっぺ返しのことは本人たちは考えていないだろう。
それゆえ、学校…というよりあまり関係ない場所で発覚するパターンが増えている。
その問い合わせがすぐに学校に飛んでくるため、学校も認知せざるをえないはず。
だから調査してみるとこれだけぐんぐん件数がある、という現実がそこに待っているんだよね。
あれだけ世間を騒がせる各地のいじめについて、これほど話が出回っているから当然対策も余念が無い。
にもかかわらず、大きく有効な策が無いのかあんまり効果が出ない。
中々いじめそのものは減らないのが分かると思う。
いじめっ子たちも(こう言うところだけは無駄に)頭がキレる奴も居るので)、あの手この手でばれないようにやるんだよ。
例えばあからさまに分かる暴力はせず、地味に攻撃をしてくるとか。
直接ではなく間接的にやってくるとか。
あえて暴力ではなく、精神的にくる嫌がらせとかをやってきたり。
いじめっ子本人には大いに問題があるけど、今を取り巻く環境もやっぱり対処する側には逆風だよね。
教員の地位低下、頭のおかしい親の増加、機能しない教育委員会などが相まって子どもたちが増長する…。
特に教師の立場がどんどん弱くなるのは、いじめを対策するにあたってもっとも致命的だと思うよ。
対策といっても、主に加害者についてどうするかと言う観点に絞られるのが大きい。
なぜやったのか?、何が気に食わないのか?、家庭環境に原因は無いのかなど…。
調べると分かることもあるけど、本人が考えていることは結局本人に聞くしか分からないよね。
でもそれを聞いても、間違いなく聞く耳を持つパターンは少ない。
下手するとその子どもが親に対して、事実を捻じ曲げて状況を伝えるかもしれない。
都合のいいように解釈しがちだから、親はその話を鵜呑みにして逆に激情することも十分ありうる。
つかそうなることのほうが多い気がする。
だから教師たちも下手に動けないんだよね。
あれこれ訳も分からず騒ぎ立てられると、自分の身にまでどうでもいい被害が広がるから。
何とか対策したくても、湾曲した教師の悪評に摩り替わる可能性が高いためいじめを止めるのが本当に難しい。
更にいじめそのものは、加害者本人の気持ちの根底に根付く問題のため理性で押さえるのも早々出来ない。
ぶっちゃけ中学生くらいまでだと、まだまだ本能で生きているようなものだからね。
本能は大人でも100%理性で抑えるのが難しいため、やっぱり発生するときは発生しちゃうんだよ。
残念だがいじめは無くなることがない
それらを考えてみると、対策したところでいじめを0にするのは残念ながらほぼ不可能。
ずっと0に近づける努力をすれば、件数は減るかもしれないがそれすらも難しい現実。
子は親の影響を強く受ける。
そのため子どもが加害者だったとしても親がまともならまだ更正の余地はある。
しかし昨今の自分の子どもを虐待するニュース等を見ていると、
普通に考えられるまともな基準に満たさない親が多いと思われる。
俺はまだ親にすらなったことが無いから、そのスタートラインにも立っていないが…。
真っ当に子どもを育てる自信と環境が整っている人のみ、設ける資格があるんじゃないかなぁ…。
だから他人を平気で傷つけても何も感じない子どもこそ、いじめの加害者になるんだよね。
本能レベルで動いているから、諭しても間違いなく言われたことに納得しないだろうし。
というより親が諭せるのかも怪しい。
今回はここまで。
改めて思い返してみると、俺もいじめを受けていたころのいじめっ子たちの家庭環境は…。
普通なところもあれば、若干いびつな環境に居たパターンも多かったような気がする。
子どもは親を選べないから、出来る限り生まれる前に環境を整えてあげないといけないね。
理想は誰も苦しまずに、平穏な学校生活を送って欲しいな…。