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感動ができなくても悩む必要はない 無機質で冷徹な人とは限らないよ

  • 2020年1月14日
  • 2020年5月1日
  • 考察

 

感動をするっていうのは、人間の感情の一種だ。

人間は様々な要因から、感情を極まらせることによって感動を得るよね。

それも人間という生物が持つ、限りない特色の表れだ!

 

テレビ番組、出来事でもなんでもいいけど世の中には感動を誘うようなものがいっぱいある。

それに囲まれながらも、中には感動することが出来ない人が存在するよな。

ここではそんな、普段感動が出来ないといわれる人の気持ちについて考えてみたいと思うよ。

 

 

感動できないって別に悩むことじゃないと

 

人の感情を動かすには、相応のエピソードや揺さぶるポイントというものが必要だ。

そこには基本的な4つの感情である、喜怒哀楽を刺激するのが基本だよね。

もちろん、人間にはそれ以外の感情も備わっているわけで…。

 

テレビのドキュメンタリー番組や映画、本でも何でもよい。

その中で感動をウリ”にするものっていっぱい見かけたことがあるはずだ。

あの手のモノを見ると、見た人によって受ける印象って真っ二つに分かれやすい。

 

心や感情を揺さぶられると、おおむねそれが外に出て涙を流したりと言った変化がわかりやすい。

これは一般的に言う感動を受けた状態だよね。

対して外に対してわかりやすい変化を示さないタイプもいる。

こっちはよく感情が無い・感動できない”といわれがち。

 

全く感動を感じない人って、ちょいちょい血が通う人間なのかと言われることがある。

ただ思うんだけど別に感動しないから無機質な人だとは限らないよね?

じんわり来るポイントがちょっと違うだけで、感情を揺さぶられないわけじゃない。

だから別に感動しないからって悩む必要ないと思うんだよなぁ…。

 

 

感動しない=冷たい人なんてことにはならん

 

そもそもなんで感動しないからって、悪いことのように扱われるのだろうか?

それって変化として表に出にくく他者から見たときに、判断がしづらいだけの話なんだよね。

ここの部分にその人の良い悪いって特に関係ないだろ。

 

確かに感動的なものを見た後に、多数の人の反応は大きく感情をあらわにするでしょう。

いっしょに居合わせた仲間が居る場合、その感情を共有しあえる。

その人間同士の共有から、つよい一体感が生まれて相乗効果に繋がりやすいよな。

その一連の流れはまあわかる。

 

でもさ、世の中には感情を表に出すのが苦手な人だって居る。

というか、日本人は恥の文化”を強く意識に植え付けられている。

だから全体的に苦手のはずなんだけどな。

そのなかでも更にって言う場合よ。

ダッフィー
感情剥きだしだと却って引くのが日本人か?

 

外に感情を出さなくても、中で考えることは表と全然違うことかもしれない。

実はあらわにしないだけで、自分の中ではめちゃくちゃ感動してるってパターンはいくらでもある。

それだったら感動してるよね?

その人の考えの中身が分かった時、果たして相手は無機質で冷たい人間だろうか。

 

もちろん本当に感動していない(しにくい)人も中にはいるだろう。

でもそういう人は言い換えると冷静に見てるということだ。

感情に左右されにくいのは一種の強み。

そういう人も中には必要である場面もある。

 

本当に感動しない人ってどんな特徴を持ってる?

 

さっき、本当に感動しない(しにくい)人もいるって言ったじゃない。

そういう人って、感動ものを見たときにどんな反応をしやすいかって特徴がある。

というか俺がまさにそうだからな。

 

 

感動を感じるハードルが高い

 

そもそも感動を感じるところや程度って、人によってこれまた全然違う。

色んなものに感動を感じにくい人って、全体的にそれを感じるハードルが高いんだ。

例えば感動モノの映画を使うとこういうことかな。

・10人中6人が感動するようなもの。
・10人中9人が感動するようなもの。

この2つを比べたら、感動しにくい人は後者じゃないと感動までもってけない。

場合によれば割合関係なしに感動はしないだろう。

 

単純に内容として、感動の度合いがめちゃくちゃ強くないと早々心が揺さぶられないだけの話。

ここは潜在的に、その人自身の好みによる部分がすごく大きいでしょう。

 

 

お決まりの感動パターンに飽きた

 

あらかじめ決められた台本がある番組・映画・本などによくあるパターン。

その物語を聞いたり読み進めたりしていると、段々泣き所が把握できる。

特にテレビ番組だとコレが非常に露骨。

該当シーンが近くなってくると

「ほら、ここ感動シーンだぞ。泣けよ」

みたいに感じてしまいやすい。

 

コレばかりやられると、ワンパターン戦法となりがちで受け手は冷めやすい。

その結果、簡単に感動しなくなるって寸法だね。

まぁ天邪鬼な性格を持っていると、相手の思うツボにはまるのが非常に癪なわけで…。

 

 

感動(涙)をあらわにするのが恥ずかしい

 

感動ものを見たときに、心こそ揺さぶられるもののそれをそのまま表に出すのが躊躇する。

感動に連動しやすいのが涙なのだが、人前で泣くのはさすがに…と思っちゃうんだよ。

いわゆる我慢しているってこと。

 

特に大人に近づけば近づくほど、全体的な傾向としてはより顕著になる。

小さい頃から本能だけで行動するなと言われたため、封印してしまうのよね。

それが悪影響を及ぼし、人々の感情にふたをしてしまう要因になる。

 

そもそも社会として、それが基本的に許されない風潮にあるから当然といえば当然。

その中でも表に出す人と出さない人に分かれるが、基本どんな原因であろうと泣いたら顰蹙を買いやすい。

今の日本の社会はコレに支配されている。

涙は弱みとして認識されやすく、社会人にとって相手へマイナスな印象を植え付けてしまいやすい。

男ならば、未だに残る性差として本当に見せられない意識って残っているからね。

もちろん女性だってそれは同じだけど。

クロミちゃん
泣いたら負け。世知辛いわね。

 

 

一見冷めた目で物事を見やすい性格

 

なんでも冷めた目で見る人って、いるだろ?

そういう人は、感動的なことに対してもそれが適用されます。

自分の関係ないことなら、その傾向がなおさら強く出る。

 

コレを言うと、ものすごい冷たい人だと思われてしまいがち。

でも前述したように、一時の感情で流されない強い意志を持っている表れでもあるんだよ。

そして冷めた目で見ていたとしても、良い結果で終わったことは素直に受け止められる。

 

例えば、誰かの命が何らかの過程で危険に陥ったが奇跡的に回復したという話があったとしよう。

・外からその人の反応を見ると、明確なリアクションを起こさない。
・ただし助かったという事実に関しては、本当に良い結果でよかったねと思っている可能性がある。
・決して助かったから、「ふーんどうでもいいいや」というわけではない。

 

ここは実際に、その人にどう感じたかを聞いてみないと分からないだろう。

でも普通ならパッと見冷めていても、ひとまず安心してくれる人が大半なはずだ。

この辺、実際に自分が一番そう感じる部分である。

 

終わり方がよければそれでいいじゃない。

もしかしたら表に出る言葉は、冷たいかもしれないけどさ。

その真意を汲み取れたら、その人は決して悪い人だとは思わないだろ?

 

 

感動できなくても悪い人間の要素は別にない

 

何でかよくわからないけど、他人よりも感動しにくいってだけで…。

やたら悩んでいる人っているんだよね。

あれこれ考えてみた結果、特に悪い要素だとも感じない。

それはそれで、一個人の個性としてあってもいいんじゃないかな?

 

感動を思いっきり分かち合うのも、もちろんありだ。

でも他人とではなく、自分自身の中でどう感じたかを追求するのだって

一つの方法だと思うんだよね。

だから感動できないからって、必要以上に悪く思わなくていいぞ。

 

今回はここまで。

感動ものって、どうも自分の性格上ストレートに受けるのが苦手。

確かに揺さぶられる瞬間もあるけど、やっぱちょっと気が引けるよね(笑)

 

おれは!いま!とても感動している!のか?