記事公開日:2018年3月9日
最終更新日:2025年10月20日
「見た目が幼い男性は得することも損することも多い」。というのが、自分の人生を通して見つけた一つの発見だ。
そう、吾輩は外見が子供っぽく見られることが多く、これで嬉しいこともあればエライ迷惑を被ったことも数知れない。
今回は上記の事実について、色々語っていこうと思う。おそらく女性だろうが男性だろうが、そういう見た目を持っている人はそれなりにいるはず。吾輩は男なので、男性目線からこれについて話していくんだけど結論は「親しみやすさをとる代わりに、なめられやすい生き物だ」ということだよ。
自然と下に見られちゃうんだよね。
幼い外見は“親しみ”と“侮られ”
外見が幼い人ってこっちから見ると、なんとなく話しやすい雰囲気ってあるよね。喋るまでのハードルが下がり、喋りかけた側の警戒心が解けやすい。多少変なこと言ったとしても笑顔で対応してくれそう、なんて思われるので会話の入り口が楽になる。
例えば初対面同士での会話、働いている時の名刺交換なんかで勝手に「話しかけやすい雰囲気」を演出できる。っていうのは、その人しか持ち合わせないアイデンティティ。

ただしその“話しかけやすさ”は、裏返すと“相手から甘く見られる余地”でもあるんだよね。働く時なら頼まれごとを断り切れずに仕事を抱え込む、冗談にされやすいとか。プライベートでも、度々人にバカにされるようなことを言われたりと…。
決してすべてがプラスに動くわけじゃないのがミソ。第一印象って、喋る前にこの人がどんな雰囲気を持っていそうかがすぐ決まっちゃうから、行動評価より先に先入観を持たれちゃう。幼さが悪い方向に向かうともうね。
親しみと侮られるって表裏一体なのよ。
幼い見た目”のナメられやすさ
人の心理をなんとなく考えてみると、人間は顔や見た目の情報を瞬時に社会的地位とか、その人の力量をなんとなく想像する。こういうの、いっぱいあるでしょ?
ここで幼さの象徴になる丸顔や童顔は“脅威”ではなく、世話しやすい”という印象を受ける。その結果として、確かに相手の懐に潜って可愛がられやすいメリットはある。しかしその代償として、「コイツなら何やってもOK」みたいに、軽く扱われる可能性も十分にあるんだよ。そう思うこと自体は自然なので、別におかしな話じゃない。公私ともども。

特にそういう傾向が顕著なので、他人からもある程度好かれやすく、逆に厄介な敵をたくさん生み出しかねない要因でもあるんだよね。というか吾輩が今まで生きてきてずっとそうなのよ。それが続いたからか、自分自身相手への好き嫌いがかなり激しい人間になっちゃったわけだが…。
確かに「わか~い」とお世辞でも言ってもらえるのは嬉しい。がその反面、「こんなガキっぽい奴ならいくらでも嫌がらせしたところで、害は無いな」と判断されることも。
だから理想なのは、やっぱり年齢相応だと思ってもらうのが一番安パイなのかもしれない。こっちだと上記の悩みが大体消えるので、あんまり深く考えなく済むこともある。
職場でもプライベートでも
良識がある相手であればいいんだけど、残念ながら世の中人間、我輩含めて素晴らしい人格者なんてなかなかいない。味方の人はともかく、敵だと考えられそうな人間こそ本当に対応が困ってしょうがない。
学生時代でもそれで有利不利に大きく傾く場面は散々あったし、社会人になった後で相手が大人であればよりそれが顕著になったなぁ…。仕事先でもプライベートでも悩んだ。
今でもある意味そう。

厄介な先輩・上司は大変
会社員として働いていた頃は、吾輩がコミュ障な点もあったがこの見た目で相手からの態度が本当に驚くほど違うことが多かった。めっちゃ優しい人は、どんなことがあっても吾輩の話を親身に聞いてくれたし、やっぱりすごく仲が良かった。たとえ職場の人でも。
しかし結局のところ、大きな悩みの種となったのは逆に自分の敵と認識してしまった上司や一部の先輩たちだ。マジでえらい目に。

ある先輩は無理難題な依頼を無理やりふっかけてきたり、普段の業務でも露骨に吾輩をなじるような発言を繰り返してきたり…。でも他の人にはやってなかったな。
上司であれば、明らかに吾輩にだけ圧を掛けた態度で接してきたり、正直理不尽なことで説教されまくったりと色々あった。吾輩が何か仕事がらみでお願いする側に立った時も、一部の方々は全然まともに取り合ってくれないしすごく非協力的なことも言われたっけ。
まぁあまりにも目が当てられない状況になったら、自分には優しい上司や周りのママさんにすごく助けてもらえたと言うこともあったけど。本音を言えば自分で何とかしたかったのだが、やっぱり明らかに年齢不相応な子供っぽさを持っているのが吾輩だから、それでナメられた節は感じたね。

友達でもそういうことはある
小中高大と、ものすごく交友関係が広いわけじゃなかったが確かに仲の良い友達はいた。大学時代の一部の友達に至っては、今でもたまに付き合いがあるほど。
ただそれでも、いじられキャラだったということも相まってやっぱり下に見られることが多かった。まぁ美味しい思いも全く無かったわけじゃいけど。

例えばまじめな話をしたいときに話題を振っても、「こいつはそういう高レベルな話をする対象じゃない」というように思われ、ふざけられたり。=単なる雑談とかでも、要所要所になんか小バカにされるような発言を混ぜられたりね。基本反論しないから、余計それが上長するなんてのもよくあること。
つっても、仲の良い友達間ならまだある程度は許せのが普通だ。

全く仲が良くない友達でもなんでもない人とかにも、そういう態度をとられることはプライベートでも割と頻発しててね。それはさすがにイラっとする。例えば吾輩、長年スポーツジムに通ってるんだけど、一部のお客さんから意味わからないやっかみを受けるとか。特に常連おばさんに多かった。
もちろん優しいおばあちゃんとかもいたんだが、やっぱり強烈に嫌な記憶として残るのはそういう厄介な相手。明らかに吾輩にだけ攻撃的なんて人もいた記憶。奴は退会処分にされるべき。
そういうリスクも、見た目が幼いってあるんだよね。親しみやすさが悪い方向に行くと、大体こんな面倒な目に遭っちゃう。ってのは、外見が幼い勢にとってあるあるの日常の一つと言えるだろう。
見た目が幼いは武器でもあり弱点
まとめると、外見が幼い男は親しみやすさを武器にできるが、ナメられやすいという事態を大いに招く。なのでそのままだと、うっとうしい敵が増える上に躱しづらいなんてことになるかも。
幼く見える=有利とはいえないのだ。

これが本人にとって、全て受け入れたときにプラスに映るかマイナスに映るか。それによって、どうにかしたいのかそのままでいいのかが変わってくるかな。現状吾輩は、嫌な相手の人間関係は割と断ててるので、まぁ幼い見た目で色々有利になる点を享受できるうま味のほうが強いかなぁと思わなくもない。
ただ例えばどうしてもいやであれば、”見た目以外の信頼(数字・実績)を示す、小物や装いで印象を補強する、反応のテンポと言葉で境界線を引く”みたいな対策もあるにはある。
今回はここまで。ただ単純に、自分の好みでもっと大人っぽい装いにしてみるのも一種のイメチェンで面白そうかなと思っちゃうときも。服とか髪型とか、これを機にもっとおしゃれ感を目指してみるのも楽しそうだなぁ。