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嫌いだけで一蹴できない。努力が嫌いな人も、やる時はやるしかない。

  • 2018年12月28日
  • 2019年2月21日
  • 考察

 

人間は学習する生き物。

知識でも経験でも、何でも活かして次につなげることによって成長するよね。

特に学生時代は知識、社会人になると経験のウェイトが変わってくる。

 

 

とはいっても、その知識や経験を得るためには原動力となるエネルギーが必要。

そのエネルギーとはよくモチベーション・努力”等で表される場合が多い。

今回はその「努力で何かを得られそうなら、やるしかない」ってことを考えていきたいと思うよ。

 

 

ひたむきにがんばる姿は、本当にかっこいいぜ.!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

努力”はよく、好きか嫌いかで議論されることが多いが…

 

子どもの頃から、

「アレをやりなさい、これだけ勉強しなさい」

とか親から言われたことは数知れず。

Omochiも今でこそ分かるけど、特別しつけが厳しい家庭でもなんでもなかった。

あくまで一般的に、よく繰り広げられる光景の中で使われる言葉を言われ続けていただけ。

 

この中でも、結構な割合で

「努力をしろ」

と言われることがあった。

まぁ当然と言えば、当然である。

親からすれば、自分の子どもには出来るだけ頭がよくなって欲しいのが普通だからね。

 

 

でもさぁ、それを言われ続けると反動として努力そのものが嫌いになるかもしれない”と、言う可能性が出てくるのよ。

ていうか一時期のOmochiは、完全にその状態だった。

(だから浪人したんだけどね…)

 

一時期腐っていたものの、何とか持ち直した後はその”努力”と言うワードに対する受け止め方が変わってきてね。

そもそも「努力って好きか嫌いかで語れるようなことじゃない。

得たいものがあるなら、努力するしか方法が無い」

と考えるのが、当然だと思い始めたの。

もちろん今でも、進んで努力をしたいかといわれるとうーんってなるけど…。

 

 

 

 

 

 

 

嫌いだからって立ち止まったら、何にもならないだろ?

 

モノでもお金でも、人生の経験でも何でも対象は問わない。

人によって、これを手に入れたいと思うものは千差万別。

ある人にとっては、お宝並みの価値があるのに別の人にとってはただのゴミにしか見えない、なんてことがある。

 

 

それはともかく、何かを手に入れたいならそのための行動は必須。

その過程で、努力を強いられる部分はいっぱいあるだろう。

でも嫌いだからといって、回避しようとしていたら何時まで経っても何にもならないのは明白。

んな事考えていたら、永遠に事態は進展しません。

どころか下手すると、後退するぞ…。

 

別にその人が努力することに対して、好きなのか嫌いなのかは問題じゃない。

それを抜きにして、やるのかやらないのかがもっと大事。

もちろん不要だと感じたら、余計な労力を割く必要はないしやるんだったら突き詰めたほうが、自分のためになる。

 

 

そもそも努力をするって、そこに好き嫌いが介在する問題じゃないんだよね。

食べることや、寝ることと同じで誰でもやって当然のものなのよ。

仮にある食べ物が嫌いだからって言って、食べることそのものを辞めることなんて無いだろ?

若しくは時間がもったいないから寝るのが嫌いだとしても、寝ずに生きていくなんて不可能だし。

それらと同じで、まぁ人間の3大欲求ほど不可欠でないにしろやって当然の事のうちの一つなんだよね。

 

そこに好き嫌い(特に嫌いが厄介)が混ざると、やる必要があることなのに手を止めてしまう大きな阻害要因になる。

だから嫌いとかなんだとか、うだうだ言っている場合じゃないわけ。

 

 

 

今でも嫌いだが、やっぱやるときは努力を重ねないと何にも手に入らないから…

 

そうは言っても、Omochiは未だに努力自体は嫌いだよ。

一番酷かった時期に比べれば、だいぶ緩和されてはきたけど。

 

 

努力をすることは、とても大事だ。

しかし中には、どうしても出来ない・苦手な人だっていっぱい居るよね。

かつての自分もそのうちの一人。

なんだったら、自分を見る他人の目によっては今でも出来てないと思われているけど。

 

ならば嫌いという観点から、視点を変えて考えてみるといい。

最初にも言ったように、努力は結構痛みや苦労が伴うことが多い。

それが積もり積もって、段々と嫌いになってしまうんだよね。

 

 

だから出来れば力を入れ込んでいることに、あまり努力していると感じないようになればいい。

色々やっていて、気づいたら結構なことが出来ていたって言うのが一番いいよね。

本人にとっても苦とは感じにくいし、確実にやった軌跡は自分の経験として残るから。

 

 

正直厄介なこと相手でも、考え方によっては一種の訓練になる。

仕事でも勉強でも、どちらかといえばやりたくないと思うことで考えてみよう。

厄介でもそれを乗り越える努力を図れば、結果がどう転んだってやっぱり自分の蓄積になるよね。

目に見える範囲では確かに結果が一番大事なんだけど、その過程にだって価値はいくらでもあると考えてみ?

他人から評価されなくても、確実に自分の強みになるはず。

または同じ失敗を繰り返さない、大きな糧になったり。

 

そう考えると、好き嫌いで努力そのものをばっさり切るよりやるかやらないかで得られるものが違うことに目が行かないか?

好みで一蹴する前に、まずやった先に何が得られそうか想像してみてほしい。

つーかどう考えても無駄以外でしかない!、という確固たる証拠が無ければやっぱり努力はしてみるほうがいいよ。

 

 

努力が本当に嫌いで愚かだった、学生時代の自分が…

 

昔実際に結構な人数を相手に、努力が嫌いだって言い放ったことがある。

意外と記憶としては覚えているもんだな…。

 

そう、あれは中学2年生の3学期。

Omochiは地元の公立学校に通っていた。

そこでは毎年の恒例イベントとして「立志式」なるものがあったんだ。

簡単に言うと、来年の所信表明を同学年の生徒を目の前にして発表するって感じ。

もちろん全員一人ずつやっていったよ。

寒い時期の体育館でやったから、聞いてるだけでも結構辛かったが。

 

所信表明ということで、何を喋るべきか結構悩む。

クラスメイトともに、あれこれどうしようかよく相談した。

結果当時の自分が思ったことは、「そういや、俺は努力が嫌いだったな。それをネタに使おう」と思ったのよね。

 

 

表明の内容としては

・努力が嫌い

・このままじゃまずい。だからいずれ努力が好きになるようになりたい

という、すげえ適当なもの。

 

あの頃は所詮14歳だったから、当然考えが全く及ばないところがあるっちゃあるが…。

なんというか、すげえバカみたいなこと言っているなぁと思う。

もしかしたら、同い年でも頭が冴えるやつはそんなことを思っているかもしれないけど。

 

 

そんな表明をしても、やっぱりこの先努力が嫌いで仕方なかった。

それ以前の問題だろうとなんとなくでも気づき始めるのは、10年以上先のことである。

だからこれを手に入れたいという理想の姿から、どんどん遠ざかっていくんだよね…。

ああ、実にあほらしい。

 

 

はい、ご覧の通りなので全然努力は出来なかった。

その結果が、浪人という憂き目に遭って大変甘ったれてしまったわけ。

努力が嫌いといい続けると、人間はクズに成りやすい…。

ああ、もう二度とそんなのゴメンだわ!

 

 

 

 

だから好き嫌いで、努力を考えてはイカンのだ!

 

出来ない人は、単に嫌いだから出来ないのか?

それとも外部的要因があって、どうしても出来ない状態にあるのか?

それを思い起こしてみると、好き嫌いで努力することに対して判断しているかがよくわかる。

 

 

何かを手に入れたいなら、好みであーだこーだ必要な努力を語る前に、まずやれ。

自分にも改めて言い聞かせる意味で、マジでやれ。

 

心身が健全な人ならば、ぜひとも効率よく努力をしてチャンスを掴み取ろう。

しかし努力のし過ぎが原因で、心身が疲弊している人は無理してはいけない。

飽くまで努力は、健全な状態の人が行うべきことであるのでちゃんと体を休めてください。

回復したら、やれる努力は何でもやっていこうぜ!

面倒なこと相手でも、好きなこと相手でもどっちでもいいからさぁ!

 

 

 

今回はここまで。

本当に昔努力が嫌いだとか、寝言を抜かしている自分は実にバカだと思う。

まぁうっすらでも、そこに気づけただけ成長したのかしらね?

 

 

好きになれとは言わないが、やるときはやれるようにしておかないとな