記事公開日:2025年12月8日
吾輩は子供のころからゲームを愛するゲーマーだ。ヘビーユーザーって程ではないけど、人並みにゲームをするのが好き。社会人になっても、やっぱりゲームに対する情熱自体は持っており、己の人生を彩る大事な趣味の一つになっている。
がしかし、誰しも社会人になった後はとにかく時間に追われる生活が待っているもの。一通り働いた後はいくらゲームが好きでもプレイする気力が残ってないこともしばしば。
それこそ今、学生の諸君に伝えたいのだが社会人になるとゲームって後回しにされやすい遊びなんだよね。というか、自然と離れていくなんてケースもすごく多い。
これが現実であり普通なのだ。
社会人はゲームの時間が少ない
ゲームってプレイする作品やジャンルにもよるけど、基本的にはすごく楽しいよね。強大な敵に打ち勝ったり、重厚なストーリーを心行くまで楽しんだり。
はたまた思いがけない演出に度肝を抜かれ、グラフィックは時代を経るとともにどんどん美化され現実のような精巧さをかたどるものも増えてきた。すごい。

そんなゲームという趣味、お持ちの方も多いであろう。吾輩も冒頭に話した通り、いまだに好きなゲームに熱中してしまうタイプ。
でも現実問題として、四六時中プレイするわけにもいかない。特に社会人以降になると、日中の活動時間は仕事に充てるためかなり難しくなっちゃうもの。
今たっぷりゲームやってるよって人でも、働き始めると生活が一変する。だから大好きなゲーム、全然しなくなっちゃうなんてこともよくあることなのだ。
意識して作らないとできないよ。
時間が無いし意義が見いだせない
勤め人あるいは自営業でもなんでもいいんだが、人は働き始めると大部分の時間を仕事に使うようになる。大半の場合はやりたくないことをやってるよね。
こんな状態で一日を使うと当然疲れはたまるので、終わった後の気力は相当削られてる。加えて自由な時間というのが学生時代に比べ、圧倒的に少なくなる。
細かいことは色々あるけど、大体この2つが重なるとまず”遊ぶより休みたい”が優先されるわけだ。特に社会人一年目とかは慣れない環境で頑張るので、より顕著。

そして吾輩の場合で参考になるかわからなくはあるが、慣れてきたらきたでこうも思い始める。「ゲームするより、もっと生産的なことに時間を使いたい」と。
このゲームをするのが時間の浪費、とも感じるようになるのだ。言い換えれば時間の無駄ともいえるか。あれだけ好きだったゲームに対して、冷たい感情が沸き起こり始める。
冷静に考えると、ほとんどの人にとってはゲームをすることで何か自分の中に作られる、人生を豊かにするスキルが身に付くわけじゃないのが大きなところ。ただ遊ぶだけでは。
記事公開日:2025年12月5日 「ゲームをプレイする間の時間って、実は無駄になっていることが多いんじゃ?」。普段楽しく遊んでいても、ふとそんな考えが頭をよぎる瞬間がある。趣味なんてそんなもの…。 […]
あれはあくまで娯楽というか快楽を享受するコンテンツの一つであり、己が何かを生み出すわけではない。(情報発信系コンテンツとかに使ってる人は別よ?)
そうじゃなくその時間は、例えば仕事の勉強なり副業に挑戦する時間なりに自然と充てたくなっちゃうのよね。自己承認感や収益欲しさを目的として。
なんとなく時間をゲームで消費するより、今はそういう気持ちがどんどん強くなってきた。だって人生の時間は有限だし、色々知らないことも知りたくなるじゃない?
自分の意志でやる勉強や、モノづくり(現物、データ問わず)をやるのって、実に楽しい。学生時代の頃に”やらなきゃ”と思う勉強などとは、興味の度合いがまるで違うから。
ゲームしてる場合じゃない
幸いなことに、吾輩は社会人という括りの中では環境も相まって、自由時間を確保しやすかった。会社員だったころもそうだったし、そこから抜けた今ではなおさらだ。
でも働き始めて割と早いうちから、「仕事後はなるべく何かゲーム以外に打ち込めることに時間を使おう」と思い始められた。まぁ勤め人生活が嫌だったからもあるけど。
そこで最初に手を付けたのが、まさにこのブログを作って収益や自分という存在を宣伝し続ける場所の確保。一般的に言えば、よくある情報発信系のひとつだね。


ここで自分が体験・実験したことの経過観察や、あるテーマに対して「これはこうじゃない?」という、自分の意見を通した読者のみなさんへの共感を得るようにしたり…。
ブログ記事内で長めの文章を作ることにより、元々口下手でコミュ障だった吾輩でもテキストベースで意見をちゃんと言える。そんな訓練を繰り返す日々が結構楽しい。
それこそゲームをプレイする快楽とはまた違う、別の達成感を味わえる貴重な場所を自分で作って運営できているのだ。…もちろんうまく行かないこともいまだにあるけど。


更にブログとは別に、社会人になるとまた全然関係ない趣味にも興味を持ち始めたりするので、そっちにも時間を使いたい。新しい趣味は当然始めたてが最も興味強いもの。
しかも自宅じゃなく外での活動になるから、もっともっと時間が必要だ。すると、どんどんゲームプレイが入り込む時間が減るため、非常に遊ぶ時間が少なくなっちゃう。
でもこれって、元々ゲーム好きだった人なら誰でも起こりうることなんだよね。仕事や別の趣味のことを考えると、ゲーム時間が少なくなるのは本当に自然なことだよ。
ゲームが全部ダメじゃない
ここまで来ると、好きな趣味の一つを少しこき下ろした感じになっちゃうかもだが、吾輩は一方でゲーム自体を否定する気は無い。
というか、本当に飽きたと言えるまではなんだかんだ細々とプレイしているあたり、捨てる気はないんだよ。割ける時間が少なくなっても、あっていい趣味の一つ。
要は付き合い方が変わっただけなんだよね。むしろ今までがゲームに時間をかけすぎていたから、ある程度は他の要素とバランスを保つような兼ね合いになったというか。


ゲームだって、やっぱりストレス解消法の一つとして重要な役割を持つ。仕事で嫌なことがあっても、カッコイイあるいはかわいいキャラクターたちに癒される…。
そんな推し活的な使い方だってありだし、純粋にゲーム内システムを使って遊び倒すことだって非常に大事。だって快楽を受け取るための方法でもあるんだから。
結局のところ、他のこととゲームを総合してどう時間のバランスを保つのが最適か。社会人以降はこれを見定めることこそ、その人の腕の見せ所ってだけよ。
やりたいときに時間を作ればいい
学生→社会人にステップアップした後は、ゲームに対して少しシビアになる可能性が高いかもしれない。そしてやりたいなら、自ら時間を作る意識が無いとできない日々も。
これは趣味の一つであり、生活が変われば人間の価値観も変わってくる。その時、その人によってゲーム以外の何かが重要になるっていうのも、ごく普通のことなんだよね。
だから社会人以降は、必然的に誰しもがゲームをやる時間が減りやすい。自然の流れだし、別にそれ自体を嘆く必要は一切ない。
自由時間は好きなことをしよう。


某大御所芸能人も「人生は死ぬまで暇つぶしの連続」と言うように、その人が送りたい人生は色々ある。その細かなものを切り取ったのが、時間という概念。
この時間を何で彩るかは、まさにその人次第というわけ。正直なところ、犯罪以外であれば何をやったって人間自由だからね。好きにすればいい。
それでもゲームをやりつくしたいなら時間を作るように努力すればいいし、他に熱中できることがあれば、最低限元々の趣味を捨てない程度にリバランスする。
今回はここまで。なんだかんだ吾輩も、一日にやるゲーム自体の時間は働き始めて以降少なくなったが、まったくやらなくなったわけじゃないからさ。
やっぱり子供のころから好きな趣味は、年齢を重ねてもそう簡単に消えることは無い。