「世の中にあるルールっていったい何のために存在するの?」
「そもそもルールって、どうしても守らなきゃいけないものなの?」
社会の秩序を形成するためには、ルールというものが欠かせないけども…。
よーく考えてみると、存在する意味ってなぜあるのか疑問に思わない?
ひねくれた子供心ながら、俺も人生で何度もそう思ったことがあったよ。
あれこれ考えた結果、ルールはいくつも理由があるから存在するんだよね。
だから守るべきだと考えている。
皆が気持ちよく過ごせるように必須だよ。
そもそものルールという言葉について…
どこで生きるにも、定められたルールや規則って大体存在しているよね。
その場によって細かい違いはあるけど、“そこにある”事実は変わらない。
場所を利用するにも、何かを覚えるためでもなんでもそう。
あれはやっていい。
逆にこれはやらないでほしい。
その場で発生するであろうことに関して、定められた処置を施すためにルールがあるよね。
中には正直見ても、なにか腑に落ちないルールもあるにはある。
しかし大半は、その合理性にかなって決められているので「なるほど」と納得しやすいよ。
ただ改めて思うのだが、そもそもルールってなんで作られると思う?
特に常識を疑いやすい性質を持つ方なら、日常生活で何度も疑問に感じるだろう。
俺もひねくれ者な部分があるので、冷静に考えるとこれはなぜ存在するのか謎だと感じることがあった。
しかしこれでもある程度は大人になったから、今なら存在する理由がなんとなくでもわかる。
あれはあると円滑にその場の秩序を保ちやすく、多数が不快に感じにくくするためにあるんだよ。
もちろん他にも細かい理由はあるが、定められたルールはとりあえずちゃんと守っておこう!
堅苦しくも感じるが、ルールが無いとカオスになってしまう!
法律を考えてみればなんとなくイメージはつきやすいと思う。
殺人とか窃盗とか、そういう類の行為は犯罪として固く禁じられているよね。
人道上やってはならないと考えられる行為であり、それをやる人を未然に防ぐのが法律だ。
やったら罰則がついて回るから、世の中のほとんどの人は実行に移さない。
例えどれだけ自分が理不尽な目に遭ったとしても、気持ちが振り切れない限り実際にやる人はいないよね。
ルールも同じであり、それが存在すれば一定の秩序が保たれるわけだ。
逆にこれが無いと、何をやっても良いということを指し示すよね。
法律でいえば、明確な殺意をもって人を殺しても建物に火をつけても何も問題が無くなってしまう。
人間というのは元来利己的な生き物だから、何をやってもいい状態だとすごく無遠慮になりやすい。
どれだけ人徳のある人でも、本音を言えば自分が一番かわいいのは当然だしやりたいことだけやりたいよ。
相手に対して尋常じゃなく腹が立てば、容易に相手を潰すことに躊躇すらしないだろう。
それこそ世の中世紀末状態になってしまうのが、ある程度想像つくはず…。
あああ、死ぬほど恐ろしい!
まぁ殺人までいかなくとも、やっぱり明確な悪意は行動に現れやすい。
それこそ地味~な嫌がらせを他人にしたり、そういうレベルでもこんな出来事が頻繁に起こるよね。
そしたら快適に生活を送りたい、なんていう願望ははかなくも崩れ去る。
その世紀末状態や、その手前の気持ちよく過ごせない社会にならないためにルールはあるんだ。
一見無駄に感じるルールもあるかもしれないけど、じっくり考えれば納得することもできるかもしれない。
どうしても必要ないと感じるなら、それこそ自分でその改正に乗り出すことだって決して不可能な話ではないよね?
現実問題、ルールを個人の力で変えるのは確かに難しいがそれだけ理に適っているのも多いという証拠。
どっちにしろ不要だと思われるルールなら、大多数が動き出す可能性も高いけどな!
時にはルールに縛られすぎて、窮屈に感じることもある。
そういうときは、いったんその場から離れてなるべく俯瞰してその物事を観察しよう。
当事者になると、中々視野が狭くなりがちで冷静に判断できなくなくなりがちだからね。
第三者に話して落ち着くのもいいかもしれない。
ルールはちゃんと守ると、みんな公平に過ごせるものなのだ!
もうちょっと近いところでルールについて、具体例を考えてみよう。
俺たち一般人は、学校や会社・お店や公共交通機関を普段からよく利用するよね。
そこで明示されたルールは、場所によって言葉を変えながら多種多様に存在するよな?
学校は社会生活の練習場所で、会社はその培ったものを使ってお金を稼ぐ
学校だと、校則という形でルールが定義されるよね。
例えばこんなものがメジャーか。
・登校する時間はここまで来るべきと決められているので、それに間に合わせるように行動する。
・学校によって、アルバイトがOKか禁止か
・髪色はいったいどこまで許されるのか
などなど辺りではないかと思う。
学生の頃は正直どうでもいいような内容が盛り込まれているのも多く、中々理解し難い校則も存在した。
まぁ大人が子供を均一化するためだとかなんだとか一部では言われるけど…。
ここのキモはやはり、今後社会に出ていく中で一般常識をきっちり備えるために定められたというところだろう。
まさに登校時間とか、凄くそこを如実に表しているんじゃなかろうか?
恐らくあなたも、学生時代に無断で遅刻をしてしまったときは担任からあれこれ口うるさく言われたと思う。
それについても、結局は社会に出る上では遅刻しないは常識と認知されている。
学生の頃から悪いほうに常態化すると、煙たがられて自分の首を絞めることもしばしば。
将来のあなたが、社会で過ごすのに不快にならないようにルールを教え込んでいるのだ。
その役割を持つのが学校だと、校則という形に現れているんだよね。
公共交通機関や、お店や施設の利用する上のルールも根本は同じ
学校や会社から視線を映して、身分関係なく誰しもがその場で使うものと言えばこの辺だね。
移動するときは電車やバスを、物を買ったりサービスを受けるならそれに合ったお店だ。
やはりここでも決められたルールは存在しており、場合によっちゃ明記されなくても暗黙の了解的なものも…。
ただそういうのも、よくよく考えてみれば結局はみんな気持ちよく使えるようにという思いから生まれたのだ。
電車やバスにおけるマナーだってまさにそう。
こういう風に使えば、自分や他の乗客に迷惑を掛けることなくトラブルになることも無く使えるようになる。
予め決めておけば、もしそのルールを破った時も対応がしやすいよね。
お店だって全く同じ。
利用時間等を考えてみれば、お客さんだけでなくそこで働くスタッフにも影響を及ぼす。
遅くまで開店しているとそれこそスタッフに負担が来やすい。
お客さんだけでなく、そこで働く人たちにもなるべく快適に過ごしてもらいやすいようにするのは当然。
その場にいる全ての人にとって、過ごしやすい場を作るのに一定のルールは必ず必要。
それをみんなで守ることにより、不快な思いをする人が一人でも減る。
この点を遵守するために多少堅苦しくとも、ルールがばっちりと存在するんだよね。
決められたルールはちゃんと守っておくと、自分も周りも得だ!
ここまで読んでもらえれば、ルールが存在する理由は大体わかってもらえたと思う。
最終的に秩序を保つため・みんな気持ちよく過ごせるために、定められたルールがあるのだ。
みんな一様に守ってくれれば、凄く平和になると思わない?
だからその場にあったルールを守っておくと、自分も周りも得することが多い。
仮に損するように見えても、周り回ってみんな良い思いが出来るって素晴らしいよな!
そこにあるルールもちゃんと存在する意味を、ふとした時にじっくり考えてみると面白いかも…。
今回はここまで。
ただ残念なことに、世の中見ているとルールって軽視されがちな部分があるからね…。
破りたくなる気持ちがわかないわけではないが、ちゃんと守っておくと自分が得することを忘れないようにしよう!
なるほど、ここではこれはOKでこれはダメなのか。
分かった分かった。