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感動できない人がおかしいという風潮こそおかしい現実がそこにある

  • 2020年1月14日
  • 2021年9月29日
  • 考察

「何を見てもやっても感動が湧いてこない」

「感動しなきゃいけない場面が来ると却って白けるなぁ…。」

人間には様々な感情があり、相手へのコミュニケーション手段としての一つ。

喜怒哀楽という4つの主なパターン+ほかに数えきれないほど細かい感情もあるよね。

 

この細かい感情の中に、件の感動が存在するわけ。

その人の心に思い切り響き、涙を流してじんわり浸るのは誰しも一度は経験あるはず。

とはいえ、中にはどうしても感動を感じる部分が薄かったりほとんどなかったり。

なんてこともあるんだよね。

我輩も自分にそういう面があることを自覚しており、変な人と思われたりするんだよ。

ただ別に感動できないからって、すべてが冷血人間とは限らないよ。

そういう個性もあるんだから何も不自然な話じゃない。

無理して感動しようとするより、この側面を持つ自分を大事にしてほしいかな!

 

感動できない人だって根が温かい面はいくらでもある

人の感情を動かすには、相応のエピソードや揺さぶるポイントというものが必要だ。

猛烈な怒りがこみ上げたり、腹を抱えるほど笑いが起きたり…。

その人の心にヒットすると、一時的に大きな心境の変化が起きるよ。

たとえマイナスの感情でも、時には必要なものなのだ。

 

まぁ誰にでも共感できるってのは、どっちかと言うとプラスの感情だけどね。

特にここでは“感動”というものにスポットを当てておきたい。

何かテレビ番組や、荘厳な風景を見ると涙を流したくなる人は多いと思う。

それこそ感動に心を揺さぶられ、普段味わえないものを味わえるのは一つの喜び。

誰もが感動するものには、多数の人に直接訴える何かの力がとても強い。

だからこそお互いの共感が生まれるのだ。

 

ただね、この感動が人間全員に適用されるとは限らない。

どうしてもそういうものが苦手って人も必ずおります。

苦手かどうかは別として、見せられても微妙な反応しか返せなかったりな。

ままあるんですよそういうことが、吾輩にも。

 

こういう性格を持つ人って、大体変人扱いされがちなのがちょっと厄介。

「なんでこれを見て感動できないのか理解できない」

「お前は人間の血が通っているのか」

となかなかえげつない目で見られること請け合い(笑)

 

だがしかーし!

別に感動と言う感情が起こりにくいと言って、何かがおかしい人だというのは早計だ。

非常に冷たい人だと思われがちだが、決してそういうわけじゃないよ。

例えば人を助ける心だってちゃんと持ってるんです。

こういうタイプの人が、無理に感動しようと頑張ることこそ余計つらいのだ。

そこで自分にうそをついて、周りに合わせる必要が本当にある?

 

感動できないのと冷徹な側面を持つのは全く別の話

そもそもなんで感動しないからって、悪いことのように扱われるのだろうか?

それは変化として表に出にくく、他者から見たときに何を思ってるか判断がしづらいだけ

おそらく得体のしれない恐怖的な印象が、悪くついてしまいがちなんだよな。

 

確かに心揺さぶられるものが目の前に出たとき、体にほとばしるものがあるでしょう。

一緒に居合わせた仲間が居る場合、その感情を共有しあえる。

その人間同士の共有から、つよい一体感が生まれて相乗効果に繋がりやすいよな。

こういう一連の流れはまあわかる。

 

でもさ、日本人は激しい感情を表に出すのが良くないとされてるよね。

一言で言えば恥の文化”がみんなの潜在意識に眠ってるんだよ。

だから露骨に感情を出しすぎると、ドン引きする気持ちが否めない。

たとえ感動と言うプラスの感情が覆っていたとしてもだ。

ダッフィー
感情剥きだしだと却って引くのが日本人か?

 

人前でこれをすると、周りから変な風に思われることがとても多かったかも。

こういう環境で今まで過ごしてきた人は、とにかく人前では常に一定でいたがるもの。

積もり積もると、なんだか常に冷静でいようとする意識が強く出まくり。

そして気づけば、どうも何を見ても感動が薄くなるというかできない…。

 

感動できない人が持ちやすい感覚

このタイプの人が持ちやすい特徴…というか、吾輩に当てはまること。

いくつかご紹介してみようと思うが、特に深刻な話じゃないので流し読みで大丈夫。

 

一つ目は感動までのハードル自体がほかの人に比べてとても高い。

なるべく冷静に見る癖がついた結果、心動かされるまでが遠いんだよ。

例えばある映画が2本あって、視聴者がそれぞれ10人いたとしよう。

映画Aは6/10人が感動した。

映画Bは9/10人が感動したという結果が出たとする。

ここで感動できない人がこの2本を見たとき、後者じゃないと涙を流せる確率が少ないのだ。

一般的な人に比べ、激しい感情が沸き上がる壁が高いので薄い反応になっちゃうのな。

 

 

2つ目は狙った感動パターンに冷める。

あらかじめ決められた台本がある番組・映画・本などによくある話だね。

その物語を聞いたり読み進めたりしていると、段々泣き所が把握できる。

特にテレビ番組だとコレが非常に露骨。

該当シーンが近くなってくると

「ほら、ここ感動シーンだぞ。泣けよ」

みたいに感じてしまいやすい。

 

コレばかりやられると、ワンパターン戦法となるので展開が簡単に読めちゃう。

その結果、簡単に感動しなくなるって寸法だね。

まぁ天邪鬼な性格を持っていると、相手の思うツボにはまるのが非常に癪なわけで…。

 

3つ目は無邪気に騒げない、誰にでもある最低限の世間体。

感動ものを見たときに、心こそ揺さぶられるもののそれをそのまま表に出すのが躊躇する。

感動に連動しやすいのが涙なのだが、人前で泣くのはさすがに…と思っちゃうんだよ。

いわゆる我慢を重ねると、もはや考えることをやめるというか。

 

特に大人に近づけば近づくほど、全体的な傾向としてはより顕著になる。

小さい頃から本能だけで行動するなと言われたため、封印してしまうのよね。

それが悪影響を及ぼし、人々の感情にふたをしてしまう要因になる。

 

そもそも恥の文化のところで触れたが、社会全体がそういうものなんだよね。

中でも表に出す人と出さない人に分かれるが、涙を流すのは本当に避けたい。

いいことでも悪いことでも関係なく、人前でやること自体がタブーなのだ。

クロミちゃん
泣いたら負け。世知辛いわね。

 

そうして最終的には、なーんか何見てもイマイチ心揺さぶられんな~。

どうしても冷めた目で見ちゃうな~、と言うことになるのだ。

ある意味一つの個性として完成した瞬間である。

 

とはいえ理由なしに冷たい態度を取るつもりはない

そんな側面を持つ人だからこそ、すごく冷たい人だと言われる。

まぁ何を考えているか、周りからは読みづらいってのは認めよう。

更にわかりにくいからこそ、とっつきづらいと思われるのも承知の上。

 

しかし、そういう吾輩みたいなタイプの人も根っから冷たいとは言い切れない。

というか吾輩自身、別によっぽどのことが無い限り敵対とかしないし。

普通に初見の相手の場合、色々話してみて様子見はよくやる。

みんなが一般的にやるコミュニケーションなら、ある程度日常的にやってるよ。

(コミュ障気味ではあるが、必要な分は頑張ってこなしてる)

 

困っている人があれば普通に助けるし、助けだって求める時はある。

それはプライベートでも会社でも変わらない。

一人だとやっぱりできることは限られるし、そこはお互い様だろう。

極力突き放すようなことはしたくないし、されたもくないからな。

それだと円滑に事が進まないから。

 

だから我輩、できることがあればいくらでも協力は惜しまん。

一応こんなんでも、ある程度の優しさは備えているつもりだ。

本当に冷たい人なら、他人に対する手助けなんてしないでしょ?

感動できないタイプでもこういう面は普通にあることが多い。

コール
まぁ世話焼きな部分も無くはないよね~。

 

感動できない性格だから何だってこと

思い返してみればいい。

我輩と同じ悩みを持つ方だって、周りに優しい側面を知っている人はいるはずだ。

周囲の人たち全員が口をそろえて冷たいというレベルじゃなけりゃ、気にする必要はない。

心配するだけ無駄だし、周りに合わせるのも疲れちゃうでしょ?

それで死ぬほど困ること、今までにあった?

我輩は別にありません。

大丈夫だよ、それで生きていけないなんてことはないので。

 

感動できないってのは、あくまでもその人の個性の一部。

言い換えれば感動と言う行為が起きにくいのも、ある意味感情の一つともいえる。

というわけで、別に無理して涙を流そうと躍起にならないでくれ。

多分無駄にしんどいだけだから、そんなの無駄無駄。

自分はそういう人なんだと認めてあげたほうが楽かな~。

 

今回はここまで。

感動なんてそもそも考えた先に起こりうるものなのか。

衝動的にそうなっちゃうことだから、深く気にする必要なし!

 

うん、やっぱりこれで涙は流れないかなぁ~…。