こんにちは。Omochiだよ。
日々のお仕事おつかれさまでございます。社会人は、学生時代とは違う悩みをいろいろ持つようになってOmochiも1年が過ぎた。軽い悩みから根深い悩みまで、その度合いは人それぞれだよね。
悩むこと自体は、まったく持って変なことではない。しかしあまりにも深くなりすぎると、次第に「原因は自分以外にあるんじゃないか?」と思いたくなるでしょ?。それを悪い方向にこじらせると、だんだんと「私は悪くない」となってしまう可能性がある。今回はそれについて、ちょっと考えていこうかな。行きましょう。
いい加減、非を認めろ。
気づかぬうちに、自分の株をがんがん下げるぞ
深い悩みを持っているときって、誰しもが
「つらい、早くどうにかしないと…。」
と感じる。
もちろん、Omochiもいつも思っております。
うん、しんどい。
もちろん、悩み自体を解決しようともがくことはいいことだ。
そうしないと、いつまでたってもその迷宮から抜け出せないからね。
しかし。
本人にとって、つらい状態が長ければ長いほど”外部からの要因を疑い始める”ようになりがち。
一度それになってしまうと、間違いなく周りから自分への評価が下がってしまう。
下手すると「責任逃れの人」なーんて烙印を押されるかも。
そんなこと、望む人なんて居ないよね?
なぜ回りから、そういう風に思われる?
とにかく精神的にしんどい状態って、周りが見えていなくて独りよがりになっている可能性が高い。
そして、自分に非がある場合それをどうしても認めたくなくなる心理が働く。
自分の内に溜め込んだ不満と化し、それが気づかないときに表に出るようになってしまう。
その状態を見たら、他人はどう思う?
とても関わりたくないと思うのが、普通の感覚だろう。
周りに当り散らす・不平不満を声高に叫ぶ・行動が粗暴になる・普段しないようなミスを連発する…etc。
こんなことに、枚挙に暇がなくなる。
そして最終的に、”関わりたくない性格地雷”として見られてしまうわけだ。
純粋にいやでしょ。
見るのもなるのも。
長い長い負のスパイラルの入り口へ、吸い込まれてしまうのは避けたいもの。
実際にこんなことがあってさ
実はね、Omochiは13~15歳くらいの頃にかなり性格がひん曲がっていた。
それも原因の一部にあるのか、過去に大きないじめを2回ほど受けたことがある。
(そのときの話は、また後に具体的に語ろうと思う)
あの時は、今よりも違う人間関係に悩んでいたせいで…。
自己中心的・周りへ責任転嫁のオンパレードだったと現在は感じている。
そんなやつが受ける正当な扱いは、いじめではなく厄介者扱いだ。
現に所属していた部活では、本当にめんどくさいやつとして忌み嫌われていたからね…。
常に周りの同級生全てを憎んでいたといっても過言ではないくらい、いろいろとこじらせていた。
それこそ取っていた行動が
「周りへの罵詈雑言・何でもかんでも他人のせいにする・常にイライラオーラを全開」
みたいな感じだったよ。
そりゃあ、周りに人なんか寄ってくるわけがねえわ。
そのことを親に相談して、アドバイスをもらったとしても
「それは俺が悪いように言っているのか?、そんなのありえねえわ。
分かってくれないやつのほうが、断然悪い」
と考えていたわけで…。
ほら、この話を見ただけで見るからに面倒なやつだとあなたは思わないかい?
当時Omochiはまだ中学生。
今でこそ、何とか軌道修正はしてこれた(と思っている)のだが…。
いい年こいた大人が、同じことをやっていたらぞっとしないか?
本当に居場所がなくなっちゃうよ?
親からのアドバイスは、すげえ適確だった
性格地雷だった当時のOmochiは、まったく周りからのアドバイスを聞き入れていなかった。
そんなときに、親からもらったアドバイスはこれ。
「当事者ではなく、第三者視点で物事を捉えてみろ」
あれ?、たしか前にも同じ助言を取り上げた気がするぞ?
まぁいいや。
どういうことかというと
自分が中心となって動いているときって、客観的で冷静な判断を下しにくくなる。
良いことで自分が中心だったら別に気にする必要はないが、悪いことだったら中心となる点を一度外に持っていく意識を持てってこと。
そうすることによって、自分の何がいけないのかをきちんと感じ取りやすくなるんだよ。
明らかに自分に原因があるのに、かたくなに認めようとしていないときって、主観的過ぎる状態に陥ってる。
そこから一歩遠くへ後退し、他人から自分を見たときにどう感じやすいだろう?
それを考えると、落ち着くとともに客観視ができるようになる。
自分が見えていないときは、ぜひとも一回冷静になって物事を一歩退いた視点で見るt琴をお勧めする。
之ができると、「私は悪くない」症候群から脱出できる可能性が高くなるぞ!
誰だって、自分の株を進んで下げたくないだろ?
Omochiはこれを意識するようになって、物事にある程度は落ち着いて対処できるようになった。
加えて、他人から見れば面倒な正確だったのもだいぶなりを潜めた。
まだ学生の頃に、これに気づけて本当によかったと思っている。
もちろん、今だって場合によっちゃ100%自分に非があると思わないケースはある。
納得いかないときだって、当然ある。
特に社会人になってから、やはりというかそういうのは遭遇しやすくなった。
それでもだ。
だからといって、全てを周りに責任転嫁するようなことは避ける意識が働いている。
こればかりは、10年近く頭に刷り込んできたから早々離れることはないだろう。
それを積み重ねてきたから、性格も人生も(今のところは)なんとか軌道を整えられていると思っている。
いつ崩れるかなんて、今に知ったことではないけどね…。
いろんな要素含めて、いやな人間になりたくなければまずは頭の意識から改めていくべき。
それを時間かけて、実践していけば見てくれる人は必ず居るはず。
今回取り上げたこれは、そんなことを思い起こしたから書いてみたよ。
くだらないことで苦しみたくないからね!
今回はここまで。
人間は、外面と内面が整ってこそ魅力的な人に映る。
ここでは内面を取り扱ったけど、人を惹き付けるような人間になりたい。
苦労はつきねえけどな!
いいな、あの人みたいになりたい!