記事公開日:2018年12月4日
最終更新日:2025年12月16日
「優しくしているはずなのに、なんか全然寄り添ってもらえない気がする…」。吾輩は今までの仕事を通して、何度もこういう風に思ったことがある。
ちゃんと気を遣って、相手の負担を減らすように動いてきたつもりなのに、関係が却って悪くなったり雑に扱われたりなんてことがとにかく多かった。
今回はそんなところから”優しさと甘やかしを勘違いすると人はどうなっていくのか”、をテーマに話をして内容を整理してみようかな。
よく分かったのは、優しさをはき違えるとそれが嫌われる要因にもなっちゃうということ。これが起きると、人が離れていく…。
おかしいな、優しくしたが。
優しすぎると嫌われるのは本当
まず前提として、優しさと甘やかしは紙一重の関係であり、勘違いを起こしやすい。そうなると大変な目に遭うよ。
ちょっと大げさかもだが、実際にそうだったったんだからしょうがないと吾輩は思う。誰にでも起こりうるのだ。

吾輩は特に仕事をしていた時が顕著だったんだけど、相手の事情を最優先に動いてしまう気質がかなり強かった。それが数年間。
「相手が忙しそうなのを勘案して、自分でできる限り負担を掛けないようにする」と理由を付け、相手がやる分まで先回りしてた。
これ、その場だと丸く収まるんだけどさ。これが続くとまさに相手から見れば「なんでもやってくれる便利な奴」となってしまうのが非常によろしくない。
あくまで優しさからやってるつもりだったけど、常態化すると意外と自分でも気づきにくい。多分そういう人、ドキッとしてる?
いつの間にか、単なる甘やかしにつながり次第に相手から自然と嫌われやすくなる。盲点だからこそ、気づいたときには遅い。
甘やかしは色々致命的だ。
明確に対等じゃなくなる
じゃあどうして優しすぎる人って、他人から段々嫌われてしまいやすくなるのかについて、細かく要素を見ていくのが一番わかりやすいよね。吾輩自身が思い当たる点はいくつもあるけど、その中からかいつまもう。
まずあるのは、相手との境界線がどんどん曖昧になっちゃうこと。どういうわけかと言うと、どこまでが自分のやるべき範囲なのかが分からなくなる。
確かに配慮は大事。だけど”相手がやらないといけない部分”まで気づくと侵略してしまうのは、お互いどこが正常なのか非常に判断が難しくなっちゃうのよ。それに下手すると越権行為につながるかもしれない。

後は、肩書に関係ない本来の人間関係が対等じゃなくなっちゃうところ。片方が我慢し続ける関係性は、たとえ仕事であれど凄まじい勢いで歪みが生じかねない危険性を持つ。
優しくされている側もこれまた厄介なことに、それが当たり前=下に見るみたいな意識が勝手に生まれてきちゃう。あっちゃいけないことなんだけど、人間とは複雑な生き物。
そして最後に言えるのは、一つ上と関連するけど遠慮が無くなるということ。字面で見ればわかると思うが、これは一万歩譲っても相手を信頼していることにはつながらない。
確かに頼られるのは嬉しいんだけど、何でも受け入れOKという状態はおかしい。どう考えても、純粋な信用とは別物。
何でもやりゃいいもんじゃない
なんで吾輩がこんなことを思うのかは、やっぱり仕事上での実体験からが一番強烈だったからなんだよね。今思うと、あそこまでする必要はなかった。
何があったかと言うと、一度転職をした後の会社での出来事。そして吾輩、そこでは経理メインの総務という形で社内の業務に従事してたのよね。

前々から問題になっていた経理周りで、一つ改善案を施していたの。それは後に行う新経理システム変更の前に打ちたい布石の一つ。
いまだにそこでは紙伝票を請求書に付けて、経費精算や支払をしていたのだがそのフローを一部変えることになった。
その紙伝票の形式が、古い経理システムで科目名や番号がおかしい&単式簿記の状態で長年回されており、処理するこちら側として手間が尋常じゃなかったんだよ。
そこから新しい経理システムになると、正しい科目名と番号に加えて、複式簿記の形になる。その前哨戦として、紙伝票の形式を最新に作り変えたかったのね。

言い出しっぺが吾輩だったので、業務の隙間時間を利用してよく伝票を起こす社員全員分のフォーマットを作り直すことになった。
直近三ヶ月分くらいの伝票を確認して、請求先ごとに何枚も下に重ねてすぐ印刷できるように準備。もちろん、作り方の説明も別書きで添えてすぐ参照できるようにもした。
すげえ面倒だったけど、今後の新経理システムに社員がすんなり移行できるよう、紙伝票での起票を先にある程度練習してもらわないとどうにもならない。

数か月かけてExcelのフォーマットが出来上がり、上司の確認も済んだ後に個別の社員へ、作ったファイルをメールで送る。今後はこっち使ってねという言葉も添えて
もちろん説明書を見てもわからないことがあると思うので、その都度質問してくれれば駆けつけるという約束も取り付けてしばらくはそれで対応してたんだよ。
まぁここまではよくあることだと思う。
出来ないじゃないんだよ
しかしその後、ある他部署の先輩男性社員から「やっぱり質問してもわからないから、もう直接Omochiが作ってくれよ」という依頼が飛んできた。
こちらは「いや、経費精算は部署ごとにやってもらうのがルールなんで、何とかご自身で作ってください。教えますから。」と返した。でも聞いてくれない。

…次第にその部署から請求書が回らなくなり、社外への不渡りこそ起こらなかったものの、こっちの業務がどんどん後に押し出されてしまうことに繋がっちゃってね。
しょうがないから、請求書が来たら吾輩が代わりに伝票を起こしてたんだよ…。これこそ優しさではなく、先輩を完全に甘やかしてしまった構図の出来上がりである。
でも結局、直属の上司&他部署の上司がそれを問題視し始められた。吾輩と先輩社員は軽い説教を食らい、その先輩からは妙に恨まれるようになってしまって。
もっとひどいのは、さらにその後部署同士の口論にまで発展してしまい、ろくでもない目に遭ってしまったのだ。良かれと思ってやったのに何でこんなことに。

最終的にはその先輩もしぶしぶ伝票を自分で起票するようになり事なきを得たのだが、やっぱりその人からはお前のこと嫌いオーラがすごかった。
そうなると吾輩自身も段々雑な態度になり、もうやってらんねと思っちゃうので、余計に悪循環が広がるというね…
この時思った。自分と先輩だけの問題にせず、予兆が見えた時点で上司に相談すべきだったと。それだったら吾輩の負担も少なかったし、先輩への甘やかし→お前嫌いのコンボは発生しなかった。
甘やかすとろくなことが無い
という感じでまとめ直すと、優しさと甘やかしは本当に近いところにあるのが分かってもらえたと思う。そして甘やかしは、いずれ嫌われるということも。
境界線を越えた優しさは、相手のために全くならない。そして優しすぎる人ほど、こんな末路を辿るパターンだって平気であるんだよね。そんなつもりなくてもさ。
だから甘やかしは怖い。

助けることは大事だが、全てこちらでやるのは普通にOUT。というか仕事以外で考えると、子供の頃の吾輩はむしろ甘やかしてもらう側に立ってたな。
あれもあれで今思うと、人間的にかなーり腐ってたのであまり思い出したくない。多分今見たら、自分で自分をぶんなぐってると思うくらいひどかった。ああ恐ろしい。
今回はここまで。そう、優しさが相手の学びを奪うことにつながると本当に良くない。あるいは、つけあがらせる要因にもなっちゃうのが厄介なポイント。
今一度、それが本当に相手への優しさなのか、それとも単なる甘やかしにつながっているのかよくよく注意することをものすごくおススメしたい。マジで。