記事公開日:2018年11月6日
最終更新日:2025年11月5日
「いっつも人からいじられてばっかりでしんどい」。その気持ち、確かに吾輩もようわかる。人は複数人集まると、いじる側かいじられる側に自然と区別がされていく生き物。
こんな吾輩もあなたと同じ、生まれてから長い期間”いじられキャラ”として人生を歩んできた。もちろん過去にしんどいこともあったけど、今となってはこのキャラが割とおいしいんじゃね?と感じる時も。
そういうわけで今回は周りからいじられてばっかりで悩んでいる方に向けて、ちょっと考え方の転換をしてみないかっていう話をしていこうと思うよ。
これはこれで良いポジションでない?
いじられキャラは儲けものかも
人って見た目はもちろん、しゃべり方一つにとっても誰かと似たような感じに受け止められることはよくあること。ただ全く寸分たがわず同じっていうケースは、基本的に無い。
例え似ている確率が高い双子だろうが、あくまでも個々人だから性格や体格等が完全に一致することはあり得ない。よく見ると皆それぞれ、どこかしらに自分だけの個性を持つ。

そして相手はその人の個性を見て、どうやって人間関係を築くか色々探ってくるわけだ。頼りになりそうならあれこれ任せるし、優しそうなら癒しを求めるといった具合に。
もちろん件のいじる・いじられるにおいても、無意識に判別してどう扱うのかというのが考えられてるんだよね。これを経て、お互いの立場というものが確立される。
さてどちらかというと、いじられる側っていうのはちょっと不利なことが多く悩みが尽きないもの。だからあなたもこっち側であれば色々困っていると思うんだけどさ。
ただし少し考え方や自分の行動を変えるだけで、意外とおいしいポジションかもって思えるように転換することも実は十分に可能だってこと知ってたかな?
普段は弱者だと思われがちだけど、使い方によっては逆に多大な味方を付けられる可能性も秘めているのだ。
逆にその環境を利用してやれ!
いじられキャラは危険性もある
そもそもいじられキャラである人が、なんであれこれ悩みやすいのかってところなんだけど…。そこはある一線を越えると、”いじめられる”という状況を必然的に生みやすい。
いじられるのであればある程度許容してネタにできるけど、いじめられるのは純粋に苦しい思いだけ。これは、いじってくる側の力量に頼る部分が多く、下手ないじりはただのいじめにしか見えないなんてこともあるのだ。

世間でいじめの問題が明るみになった時に、やった側は大体言い訳としてこういうことをのたまう。「あれは単なる”いじり”で両者合意の上だった」みたいなね。いじりなのかいじめなのかは、受ける側が感じることであってやる側がどうのこうのではない。
やる側がここを見誤って、大概の場合はやりすぎ=いじめにつながるんだけど当然いじめられるのは本当に辛く、本人にとって多いな死活問題。というかあれは、一種の殺人と言っても過言ではないと思う。

もしいじる側に回るのであれば、相手を不快にさせないいじりを心得ないと話にならない。ただそれは、人の痛みが分かったうえでいじり方を熟知している人間じゃないと出来る芸当じゃないのだ。
それなりに人生での修練を積んで、相手を困らせないギリギリのラインを良く知っている人じゃないとだめ。ただここまで出来る人って、一般人じゃそんなに居るわけない。
そしていじられる側は、パワーバランス的に考えると下の立場になりやすい。おかげで自分からその関係を打ち崩すのもより労力がかかり、ずるずると行きがち。
やる側のさじ加減が強く、こちら側でコントロールできる範囲がぶっちゃけ少ない。だから何も対策を打つことが出来ず、どんどん悩みが積もり積もっていきやすい。

でも居るだけでプラスかも
ただ最初のほうにも書いた通り、吾輩は”いじられキャラ”もいいポジションだと思っている。自分にとって好都合な環境さえ作れれば、黙ってても勝手に向こうからあれこれやってくれることも多い。
普段の会話だったり何かのお誘いだったり、とりあえずこいつを入れておけばなんか楽しそうっていうムードメーカー的な役割を持つことも可能なのだ。これは一種のアイデンティティ。ある程度受動的だったとしても、周りからついついやってもらえるという立場に滑り込めるからこれはこれで便利だよね。

もちろんこちらも何もせずに、そういう環境が容易に手に入るというわけではなくそれなりに行動することも必要だけどね。心地よいコミュニティは努力しないと生まれない。
だからそこまでは自分で頑張って考えながら行動しつつ、他人に対する見極めは誰よりもしっかり観察することが大事だ。いじってくれる人は誰でもいいわけじゃないので。
付き合う人間の吟味
さっきも言った通り、まずいじる側の人間はどういうタイプの性格を持っているか。ここをよく観察して、本当に親しい関係になっても良さそうか熟考しよう。
相手にいじってもらわないと、いじられキャラはそもそも成立しない。しかし相手がある程度引き際を知っている人じゃないと、単なるいじめに発展する可能性が高い。
完璧を求めるのは無理があるが、そのあたりの駆け引きが多少上手そうな人なら探せば周りに誰かはいると思う。

ほら、同じことを言われても言っている人によって受け止め方が変わってくるじゃない?。単なる笑える冗談に聞こえる場合もあれば、本気で腹立つこともある。
出来るだけ前者のパターンを感じられるように、相手のことはいろいろと観察する必要があるよ。観察と言っても、まず普通に接してみて「こいつはダメだな」と思わなければとりあえず大丈夫だろう。
ここは完全に相手に依る部分なので、合わなそうなら自分から離れていけばいい。いじるいじられるに限らず、友達同士でもなんでも馬が合う合わないは絶対にあるからね。
合わないのならばお互いのためにも、離れたほうがイイ。仕事先の上司とか先輩みたいに、離れるのがどうしても難しい場合は相手のことをまじめに考えない。適当でいい。
業務上必要最低限の話だけに留めて、さっさと会話を打ち切るとかね。どうせ仲良くする気が無いってのは、なんとなく相手にもすぐ伝わるもんだから気にしなくていいよ。


自分はエンターテイナー
自分で出来ることといえば、これが一番大きいかもしれない。いじられても逆に自分からすべてをエンターテイメントにする、強い意識を持てればぶっちゃけ最強。
例えば何かいじられた後に、言われた言葉をある程度改変して”笑いながら”言い返せば大丈夫。この”笑いながら”が重要で、返事がこれだけでマイルドになるんだよ。

わかりやすいイメージだとまさに、お笑い芸人の「出川 哲郎」氏を見れば一目瞭然だろう。彼こそ誰もが知る、いじられキャラ系のお笑い芸人の筆頭。昔は不潔だなんだで相当嫌われていたが、今ではもはやマスコットキャラのように愛される存在に。
出川氏はバラエティを見ればわかるが、もうどんな時でも出演者からいじりにいじられまくりそれを笑いに変える漢である。
しかし彼は、何を言われても大体笑って言葉を返すので険悪な雰囲気になることはまずないよね。テレビ番組だからってのもあるけど、隠し撮り企画等でもそういう空気になったのは見たことないほど凄まじい。
更に出川氏はカミカミのセリフで有名だが、同時に非常にツッコミやすい雰囲気を持っている。これから生じる親しみやすさというのは、相手への警戒心を簡単にほぐす稀有な能力ともいえるよね。
だからこそ視聴者は頭を空っぽにして見ても面白いし、彼の好感度がぐんぐん上がるわけだ。まぁ出川氏の例はあまりにも極端なので真似するのは難易度が高すぎるが、行動自体はシンプルだ。
少しでもあんな感じに近づけるようになると、周りへの雰囲気も良くなるし自分自身も不思議と細かいことでウジウジ段々悩まなくなってくるんだよね。これでも全く問題ないじゃんと思える。


ただ一つ注意点なのは、必ず自分の中で超えてほしくないラインは認識しておこう。何でもかんでもいじっておkみたいになると、相手が暴走していじめにつながるかもよ。
そうなってしまうといじられキャラどころではなくなるので、ちゃんとそこは守っておこう。絶対に言われたくない、触れられたくない話が誰にでもある。
相手が知らずに触れてしまったら、最初の一回は水に流してその話はしないように伝えておけばいい。それでも刺激してくるなら、自分が不快になるだけなので早々に縁を切る。
いじられキャラを上手く使え
いじられを上手く利用している人を見ると、実はそんなに深く悩まなくても良いのかもと不思議と感じる。エンターテイナーでもあり道化を演じるのも、慣れるとプラスになる。
相手の力量、自分の意識次第でいじられる=新たな親密関係を作る手助けになってくれるよ。だからいじられキャラになったら、逆においしいと思ってくれると嬉しいかな!
そう、いじられキャラは美味なのだ。

人生の積み重ねによって、どっちに回るかその人次第なので…。別に無理にいじられキャラを目指す必要はないが、もしなった場合は発想の転換をしてみればいい。
個人的にはこれでいじられ≒愛されキャラになったほうが、なんだかんだ得することも色々あるからさ。困ったときに助けてもらえる確率も上がるし。
今回はここまで。もちろん、それでもいじられキャラが嫌だって言う考えだって否定するつもりはない。一時期は吾輩もそうだったから、別にそれは自然なことだし。
ただこのポジションに開き直って居座ってみても、自分の考え方次第でマイナスからプラスに転じる、なんてことはいくらでもあるよ。