記事公開日:2018年2月27日
最終更新日:2025年4月28日
「旅行が嫌いな人なんていない」
現実やSNSでは華やかな旅の思い出が溢れ人々は話を弾ませ、”旅行好き”であることが当たり前のようになってる。
ただし全人類が好きなものではなく、旅行にさほど興味を持たないという人間も一定数いる。というか吾輩がそうなんだ。
今回は旅行に価値を見出せない人間の立場から、「旅行嫌い」という話についてあれこれ好き勝手言おうと思う。
別に嫌いでもいいじゃん。恥じるな。
遠出する旅行が嫌いなんだ
結論から言うと吾輩のような旅行嫌い”の人間は、旅行という行為そのものに特別な価値を見出していない。
ここには単なる面倒くささやコスパの悪さはもちろんあるんだけど、もっと根本的な違い(価値観的な)部分があるのよ。

家を離れて見知らぬ土地で時間を過ごし、日常と異なる体験をすることが、どうも特別に絶対的な価値があるとは思えない。
「非日常を体験する」「視野が広がる」という体験、確かに得られるというよく聞く話はべつにわからないわけじゃない。
でも別に、旅行に対してそういうものを求めてないんだよね。だって今のところ、別に自分としては必要としてないし。
本を読んだりPCで動画を見て知識を深めたり、地元での新しい体験に挑戦したりするでも調べれば十分できる。
だからわざわざ旅行せずとも知らないことを知る経験はできるし、それでいくらでも視野を広げるだって可能なはず。
旅行をあえて選択しないんだよ。
旅行嫌いの背景にある事実
旅行に価値を見出せない理由は、同じ旅行嫌いでもそれぞれあると思うんだけど、いくつかの共通点が考えられる。
1つ目は移動時間そのものが、無駄でしょうがない感覚に襲われること。どんな移動手段であれ、必ず発生する時間だよね。
どれだけ快適な乗り物だろうが、長時間目的地に向かう際に現れる身体的疲労、知らない土地での道が全くわからないストレス…。

国内でも方言が強い地域や、外国など言葉の通じない環境でまともにコミュニケーションが取れないのも、イライラする。コミュ障は禁句。
無事に到着したとしても、道中こういうリスクが無視できないから自分の中に強い不快感として残っちゃう。すでに楽しいどころじゃない…。
あともう一つは、そもそも普段の生活で100%じゃないけど満足していて、「日常からの解放」を求める必要性を感じてないのも大きい。
そもそも一週間のローテーションが決まっていて崩したくないし、趣味とかで今ある生活に十分な充実感を得ているならまじでいらん。
なぜあえて、大量の不確定要因がある上に時間とお金をかける旅行に投資する必要があるんだ。うん、どう考えてもナシですな。

ダメ押しで旅先で得られる”新しい発見、視野の拡大”ですら、身も蓋もない事を言えばネットでいくらでも風景など見られるしなぁ。
その手のプロが撮影した写真、動画(しかも解説付き)があるわけだし、実際に足を運ぶ価値が相対的に低下しているような気がする。
余計なお世話
「今度の休み、なんか予定は決まった?」、「GWは海外でも行くんか?」、「海外旅行したことない人ってすげえもったいなくない?」
こんな会話、今まで生きてきて旅行シーズンになるたびに腐る程聞いてきたし、聞かれたことがある。そんな気になることか?、と思いながら。
吾輩みたいな旅行に興味がない人間には、行く気はなくともあまり適当に返事もできないことなので、小さくも確かなプレッシャーになる。
旅行好きそのものを否定するつもりはない。がしかし、そういう人たちは無意識のうちに、旅行が人生の必須体験であるかのように語りがち。
何度も言うけど、価値の基準が違うだけ。
旅行に興味を持てない吾輩が最も違和感を感じるのは、”旅行=成長・視野の拡大”とやたら言われやすいところ。別にどうでもいいがな…。
そりゃね、旅行を通じて成長した経験があるのは間違ってないと思う。でもさぁ、その成長の過程や結果を得られるのは旅行だけか?
人生を充実させる要素なんて、その人の好みによる部分が一番大きいんだから、そこまで気にする必要あんのかな。

あとSNSとか見るとありがちな、”映える写真を大量に載せるような旅行”のアレ。キラキラした場所で、仲間で楽しく過ごしてますみたいなね。
どうもああいうのを見ると、吾輩の性格がネジ曲がっているのか一種のステータスシンボルみたいに使われているようにしか見えなくて…。
もともとSNSがあまり得意じゃないので、個人的にはあんまりダメージがないけどね。ただそういう人種が好きになれない。パリピか…。
そもそも旅行の目的って現地で得られる体験がメインのはずなのに、写真映えする観光地で撮った写真を投稿することが目的になってるのよな。
そしてそれを見た別のユーザーは、私もあんな楽しそうな日常送れればとひがんだりしてるのを考えると、マジでなんの生産性も無いなと思う。

あとね、「休暇=旅行」という安直な発想も多いんだけど、休みの過ごし方こそ人それぞれ。
”休みには旅行するもの”という前提で会話が始まることも、正直うんざりしてた。吾輩は自宅で過ごすのが、一番安心するんだよ…。
特に趣味への没頭こそ、最も幸せな時間の一つだから、家で目一杯楽しむので十分。
すまんもう一つあった。旅行好きは陽キャ、旅行嫌いは陰キャというイメージが強いのも、なんだかなぁと思う。そんなの人の勝手やんけ。
旅行が嫌いという感覚は正常
改めて言うと、旅行という行為そのものに特別な価値を見出さないという吾輩のような人間。
それは単なる個人の価値観や、自分がやりたいことの優先順位が違うだけに過ぎないのだ。
みんなそれぞれ人生の楽しみ方や成長の方法なんて無数にあるわけだし、旅行はその中にある膨大な選択肢の一つ。
行きたくなけりゃ、行かんでええよ。

旅行嫌いっていうと、怪訝な顔をされることが多かったけど、正確には「旅行に特別な価値を見出さない」という、強い我らの意思表示。
そんな目で見るんじゃない。
旅行は確かに素晴らしいものだよ?。ただ、全ての人にとって必須の経験である、なんていうことは決して無いので、好きにすればいい。
今回はここまで。吾輩は遠出するより、自宅や近所で好きなことを追求し続けるほうが好き。
多分同じ考えの人は、行動パターンが似ているのかもしれない。