「私は頼られるが好きだが当てにされるのは嫌いなんだ」
みなみけに登場する南さんちの末っ子、“千秋”が発したセリフ。
なんだかんだまじめだからか、作中の友達からは頼りにされることが多い。
ただ上記のように、当てにされるシーンもそれなりにあるので…。
その時に出た彼女の本音が上に書いた通り。
これ、実は現実世界でもこの2つの違いって結構大きいんだよね。
ぱっと見はやってることが同じでも、本心がどこにあるかによって意味が変わる。
特に気づかぬうちに当てにしまくると、後々大きく嫌われる要因になるよ。
何分、吾輩もいまだにそういう面があるから気を付けないとな…。
頼るってのは恥ずかしいことじゃないが当てにするのは違う
人間と言う生き物は、昔から集団で固まる社会を形成してきたよね。
個体の力が弱い代わりに、集まると圧倒的な知恵により一気に反映した。
古代から現代までその性質は変わらず、地球の中で生きる一大勢力と言うわけ。
この辺、小学校の歴史の授業とかで聞いたことがあると思う。
ともあれ、人として生きる上では他人とのかかわりが欠かせない。
たとえ人づきあいが苦手だろうが、ある程度は必ずやる必要があるよね。
一人だとどうしてもできることは限られるし。
みんなそれぞれ得意なこと・苦手なことがはっきりしてるからさ。
我輩だって全く同じです。
どうしても自分だと難しいことは、周りの人にやってもらうのが一番。
人はお互い協力すれば、一気にできることが増えるのだ。
いわゆる助けあいでそれはそれは美しい。
ただし!、協力をあえぐにも意味合いによってはだいぶ伝わる内容が異なる。
協力って言い替えには“頼る”と“当てにする”があるんだけどね。
両方とも意味合いが全然変わっており、後者はマイナスイメージが強いのよ。
ここの違いを少しでも頭に入れておかないと、人間関係が劣悪化します。
いやぁ、マジで我輩昔これわかってなくてえらい目に遭ったのよね…。
友達間だとかなりまずい…。
間に甘えが入るかどうかが決定的な差
「○○をお願いしたいんだけど」
他の人に何かしてほしい場合、普通な頼み方だとまぁこんな感じだよね。
ただ言葉に出してない思惑が別にあり、ここに明確な差が生まれやすいのがポイント。
“頼りにする”場合は、今はできないけど一緒に解決法を探してほしいということ。
“あてにする”場合は、言ってしまえば自分の労力をかけずに解決したいという欲望が混じる。
この明確な差は、一言で言うと頼んだ側に甘えの部分が入ってるかどうかだ。
他人と一緒に進むか、他人にまかせっきりにするかだね。
当然ながら後者のほうがマイナスイメージが強いのは、なんとなーくでもわかると思う。
当てにしてばっかは実に損している
これが恐ろしいことに誰だってそうだが、人間は楽なほうに流される性質を持ってる。
わざわざ自分から苦労しに行く、なんて人はあんまりいない。
なので、任せられるものは任せっぱなしにできればしたいのが本音。
うんうん、吾輩でもいまだにそういう面は結構出てくるよ。
でもね、そればっかりやってるといろんなところで損しちゃうんだよ。
自分自身にもそうだし、周りからもどうしようもないやつの烙印を押されやすい。
残念なことにこの事実は覆せないと思う。
吾輩の学生時代を思い出すと、親には過剰なほど当てにしまくってたかな~。
パッと出てくるのは、忘れもしない高校3年生当時。
普通は自分が希望する大学を探すために、オープンキャンパスや文化祭に行ったりするよね。
そこで構内の雰囲気や大学生がどんな感じなのか、ざっくりでも知る。
本当に勉強時間を確保してもその大学に行きたいのか、自分の中で天秤にかけるわけ。
あるいは合格ラインに届くためのモチベーションを沸かすのよ。
きちんとした学生なら自分で現地に赴き、現場にいる学生や教授に色々質問してわかろうとする。
この質問の部分は、知らないことを知るために人を頼っている構図が出来上がっているよね。
ただこれは自分のために動いているうえに、前向きな行動理由がきちんと存在しているわけ。
相手にとっては、頼りつつもプラスな面が見えるのがわかってもらえるのだ。
少なくとも相手は嫌な気持ちには絶対になりません。
がしかし、あの頃の吾輩は違った。
全てにおいて怠惰であり、自分でどうにかしようという面が一切なかったのが…。
しかしやらなければならないことが目の前にある。
さてそんな人間が、周りに求める行動って何だと思う?
それこそ、すべてにおいて当てにするような立ち回りをしてしまうのが問題だ。
さっきのオープンキャンパスやらなんやらの話に戻るけど。
吾輩の場合、大学生にはなりたかったが大学探しはぶっちゃけめんどい。
どこがいいのか見つけるのもだるいし、現地にわざわざ行くのも超めんどくさい。
それが極まると、「よし、大学まで親に送り迎えを頼んで資料だけもらうか」というね。
親を足代わりに使おうと当てにする構図が出来上がるのがお分かりかと思う。
非常に後ろ向きな行動理由なうえ、やる気が全く感じられないのはアカン。
これ、頼まれた側からこの思いが見透かせると非常にイラっとするよね。
自分が消極的なので何も成長しない+相手をムカつかせる要因になるのだ。
実際この時、吾輩はかなり家族仲が悪かったからね。
当然全部自分で蒔いた種だとは、あの時露にも思ってなかったのが質悪いよ…。
回りにこんな奴いたら、正直近づきたくないよね?
結局吾輩は自分自身の甘えが捨てきれず、大学受験を一度大失敗してしまいました。
まさに高校3年生=18歳にもかかわらずに何も学習してねぇ。
まぁこれ以外にも、現実世界では似たようなことがゴロゴロ転がってる。
くれぐれもほかの人へお願い事をするときは、協力する姿勢を怠らないように。
仮にまかせっきりにしてしまう場合は、ほかのところで必ず借りは返す気持ちでいよう。
頼るところは頼るが当てにするのは避けるべき
人は他人とかかわりあいながら生きていくもの。
そのためにはお互い、得意分野による協力体制を築くのが超大事。
できないことは素直に認め、できる人にお願いするのはアリなこと。
仕事でもプライベートでもその本質は大きく変わらないよ。
ただお願いするときは、自分に甘えの部分が大きく出ていないかを一度確認したほうがいい。
これが前面に出ると、非常に他人に嫌われる上に自分のために一切ならない。
頼ると当てにするはここがめちゃくちゃ大きい違いなので、ぜひとも頭に入れておこう!
自分に甘い人ほど、自然と他人をあてにしやすいからね。
今回はここまで。
いやしかし、昔の自分を思い出すと色々と難がありすぎる性格だったな…。
そりゃあ周りの人間も離れていくのは、今だとものすごく納得しちまうわ。
かつての地雷人間だった吾輩にはもう戻りたくない。
待て待て待て、本当にそれで行くつもりか?