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ちょっと固執しすぎていない?。要らん”ルール”を守りすぎるな!

  • 2018年12月20日
  • 2019年2月21日
  • 考察

 

日本人って、季節のイベント事を見てもかなりめちゃくちゃだよね(笑)

キリスト教徒でもないのに、クリスマスになると国全体が何とも言えない雰囲気になったり…。

まぁああいうのは、企業の単なる戦略でしかないのだが。

 

 

ともかく、世界に目を向けると信じる宗教によって規模や偏りがかなり違うよね。

しかし熱心な教徒に代表されるように、「ルールに縛られすぎた人間は、頑固で何をしでかすか分かったもんじゃない」ってことをお伝えします。

何事も、極端はとにかくよくない。

 

 

ルールは確かに守るためにあるのだがな…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ルールってそもそもなんのためにある?

 

日ごろの生活に、至る所でルールって存在するよね。

細かいところだと動作の作法や常識と言われていること、大きくなると法律だってルールの一種だ。

多くの人が存在する社会であるから、一定の秩序となるものはどうしてもいる。

それが無いと、何でもやっていいということになって会話や行動のキャッチボールが成立しなくなるからね。

 

 

 

 

数多くのルールと島国である国民性が相まって、日本は世界の中でもかなり治安のよい国だと話も聞く。

(それについて、言及したのは“日本における自動販売機の普及率”についてだよ)

少なくとも平和という観点においては、本当に日本に生まれてよかったと思うくらいだよね!

その平和の中で、こうやってのほほんと?ブログを作っていられる自分はそれはそれで幸せを形作っているのかもしれない。

 

 

ただね、同時に思うこともあるんだよね。

「あまりにもルールに縛られすぎてしまうと、どう暴走するか分からないのも人間」

だということに。

守ろうと盲目的になりすぎると、本当に何をしでかすか分かったものじゃない。

それで悪い行動を起こすきっかけになってしまったら、とっても本末転倒だよね…。

 

 

 

 

 

 

 

 

やりすぎると、自分を見失ってしまうことに

 

ルールを守ろうとする思い自体は、とても素晴らしいことだよ。

だってルールって基本的に、他人への迷惑防止を掲げていることが多いからね、

守っているということは、他人への配慮が出来ている証拠でもある。

 

 

ただし、決められたルールを自分で曲解してしまうと大変面倒な人間になってしまうことも。 

勘違いしてマイルールを他人に押し付ける人は、かなり厄介な人として扱われる。

場合によっちゃ、身体的に危害を加えてくるのもいるからね。

パワハラ認定される可能性だって、ぐんぐん高まる恐ろしさ…。

 

しかもたちの悪いことに、本人が気付いていない場合更生の余地がないと思われることも。

本人も自分が気付かないうちに、どんどん心に重荷をかけてゆがめてしまい更に訳が分からなくなる事だって考えられる。

 

 

身近なところでいえば、かなりいろんなところでそういう人を見かけるよね。

満員電車内だったり、お買い物をするお店の中であったり、職場であったり…。

本当にどこで遭遇するか分かったもんじゃないくらい、出会いのバリエーションは多い。

(うわぁ…、超要らねえ…。)

 

 

 

当然、ルールそのものは普通に考えてみれば守って当然なことが多いのだが…。

中にはどう考えても、これはおかしいだろうと思うこともあるよね。

はっきり言って、存在したところで誰かが得するとは思えないようなものも世の中には存在する。

それに関しては、別に破っちゃっても不利益が生ずるようなものでなければ破っちゃってもいいと思うんだけどなぁ…。

 

 

他人、物を破壊してエスカレート化する

 

盲目的に存在するルールを守ろうとするにあたり、それに従わないものは全て的に映ってしまう。

生物にとって、一度害となるものと判断されれば排除するのが自然な行動だよね?

同じ人間同士で、そういうことが実際に起きてしまうのは非常に悲しい出来事だ。

 

 

日常生活レベルでそういったことを目にするのは、さっき言った通りだが…。

これが海外にまで目を向けると、例えば“宗教”という側面からの影響も見えるわけ。

 

宗教が発する人間への影響はかなりすさまじい。

その宗教の最高位に位置する、神の教えによって信者たちは行動を起こす。

特段何もないなら、別にどう信じようがかまわないのだが、そうもいかないことにやはり起きるのよね。

それこそかつて世界を不安の渦に陥れたISILこと”イスラム国”の一連の流れなんてその最たる例だよ。

 

彼らは、自分たちの信じる教えをかたくなに守って仲間を増やすことによって勢力を拡大した。

その結果、強大な軍事力や外国人を拉致・殺害といったすさまじい暴挙に打って出たよね。

自分たちが守るルールに従わない外界の人間は、似た姿を持った生物としても異分子判定をするので敵として扱うわけだ。

そんな連中に、殺傷できる力を持たせるととんでもないことになるのは明白。

 

 

あれこそ、ルールに固執しすぎた結果どんどんよろしくない方向に向かっていったのよね。

正直、宗教を心をの拠り所にするのは構わないけど、あまりにも他人に押し付けようとする姿勢は褒められたものではない。

ましてや、それが効きにくい相手を潰すような真似ばかりしでかすのは、まさしくルールに縛られすぎた人間の末路と言えよう…。

ああはなりたくない。

 

 

しかも現代に限らず、人類の歴史を見るとキリスト教徒の迫害とかが嫌でも目に映る。

やってることは大昔と大して変わってねえじゃねえか…。

 

 

日本国内だって、似たような事例があったろ

これが宗教に疎い(と言われている)日本だって、似たようなことは過去にあるよね。

1980年代から、現在の2018年に至るまでかなり大きな悪影響を及ぼした“オウム真理教”の一連の事件。

最も有名な事件である、1995年の「地下鉄サリン事件」を引き起こした恐るべき集団だね。

当時自分は2歳だったため、実際のニュース映像を見た記憶はないけど…。

 

 

あれも引き起こした原因は、結局のところ宗教の教えに縛られすぎた信者たちが起こしてしまったものだと考えられる。

つまり、トップである教祖が発した言葉を全て守るべきルールだと捉え、なんでもかんでも実行に移そうと思ったんだよね。

まさしく、ルールに暴走させられたと言ってもいい。

教祖がとうとう国家によって処罰が下されようとしたとき、またこの“オウム真理教”は大きく世間の注目を集めることになった。

本当に世に与えた悪影響は、計り知れないわ…。

 

 

 

 

おかしいと思ったら、一歩引いて考えてみよう

 

何が正しくて、何がおかしいのか。

果たして今自分の目の前にあるルールとは、本当に守るべきものなのかそうでないのか?

あまりにもおかしいと思ったら、ちょっと落ち着いて疑う目を持つことをお勧めする。

 

それすらも判断付かずに、盲目的にルールへ従うと何が正常なのかの判断がつかない。

そうなったら、人として終わりだと思うよ。

自ら進んでそうなりたいと思う人は、ほとんどいないと思うけどいつの間にかそうなってしまったという人は一定数居る。

もしかしたら、Omochi自身でさえもこの先そうなる可能性はいくらでもあるからね。

 

 

 

目に映るものすべてが正しいとは、まったく限らない。

常識だと思っていたこと、守るべきものだと思っていたルールも実は必要でもなかったりするのがあるのかもしれないな…。

 

 

 

 

今回はここまで。

実はさ、ぼけーっとFF用語辞典WikiのFF10のセリフをスマホで眺めていた時。

あるキャラが言った「真実に異を唱えるもの これすなわち反逆者」というセリフが妙に印象に残っていてね…。

あまり細かく書くと、ネタバレになるから書かないけど…。

疑わずに従えって、あまりにもめちゃくちゃすぎると思ってさ。

 

 

疑いの目を持つことこそ、自分の身を守る要因にもなるかもしれないのだ…。